
神社情報
神社名 | 常陸神社 |
鎮座地 | 奈良県奈良市法蓮町一七六三番地二号 |
御祭神 | 少名毘古那尊 |
創 建 | 不詳 |
社格等 | ー |
神名帳 | ー |
文化財 | ー |
例大祭 | 四月二十九日 |
境内社 | 佐保姫大神 藤瀧大明神 玉井大明神 稲荷社 |
URL | ー |
御朱印 | ー |
参拝日:2025-04-05 |
御由緒
常陸大掾中臣無良自という人物が少名彦名命を勧請奉斎を始めたのが創始だと伝えられています。始めは常陸国にて祀られてきたのかは不明なんですが、桓武天皇の平安京への遷都に際して現在の地に遷座したとしています。
ちなみに、"大掾”ではなく律令制度の中では「代掾」という官職名となっているのでたぶん誤植だとおもいます。"掾"という官職は「律令制下の国司の第三等官。中央政府における「判官」に相当し、国司の補佐や事務処理を担当する。」として、"代掾"は「掾の代理」という官職だったそうです。で、中臣氏は常陸国発祥の一族であるという説もあるくらい常陸国との結びつきが強い一族なので、元々は常陸国にで創始された神社なんじゃないかと思うのですがどうですかね。
常陸神社勧請の記
常陸神社の御祭神を少名毘古那の尊と申す。今より千余年の昔国史たりし常陸大掾中臣無良自と云ふ人が少名彦那の神を信じ一社を建立信仰せられたる時桓武天皇延暦七年都を山城愛宕郡に遷し賜うに際し、祭神を当佐保岡の地に移し賜へり然るに中世応仁の大乱により神社も廃壊して神燈も絶へんとせしを徳川の治世となり八代将軍吉宗公社寺の由来を調べ再建ありし時、当神社を郡山の城主柳山甲斐守守吉里候に申付御造営ありてより参籠者続々と相集り時移り明治の後期拝殿社務所を改築今日に至る。
わびさひは 少名彦那の 神なれば
祈るやまひも ひたちなるらん
参拝記
境内入口


手水舎

切妻造銅葺屋根木造の二本柱タイプの手水舎になります。
狛犬

雌雄唐獅子で雌獅子には子獅子が乳を求めている「母子獅子」の姿となっているそうです。
社殿


入母屋造瓦葺平入に切妻破風の向拝が設けられた拝殿を有する社殿になります。まだ数社しか参拝していないので断言できないのですが、本殿を囲む瑞垣と神門ではなく鳥居が据えられるのは奈良特有の神社様式なのでしょうか。この辺りも注目しながら神社巡りを行っていきたいと思います。
佐保姫大神

奈良では春を司る神としてその名が知られている佐保山の神霊である「佐保姫」を御祭神とする佐保姫大神の社になります。佐保姫は古事記や日本書紀では垂仁天皇の皇后であり、兄狭穂彦王の謀叛を停める事が出来ず、天皇の元を去り兄と共に亡くなったと記されてる「狭穂姫」との関連性(同一視)があるとされている事から、もしかしたら狭穂姫所縁の社になるのかもしれません。
法蓮稲荷神社


地図で鎮座地を確認
神社名 | 常陸神社 |
鎮座地 | 奈良県奈良市法蓮町一七六三番地二号 |
最寄駅 | 電 車: バ ス:奈良交通「法蓮町バス停」徒歩9分 |
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