建御名方神とは?
建御名方神の血統
大国主神
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┣━━━━建御名方神 ┏建御名方彦神別命
┃ ┃ ┣出早雄命
沼河姫神 ┣━━━━━╋意岐萩命
┃ ┣妻科比売命
八坂刀売命 ┣守達神
┣池生神
┣須波若彦命
┣片倉辺神
┣蓼科神
┣八杵命
┣内県神
┣外県神
┣大県神
┣恵奈武耳命
┣高杜神
┣妻岐萩命
┣都麻耶美豆比売命
┣奥津石建神
┣多都若比売神
┣垂比売神
┣竟富角神
┗大橡神
建御名方神の伝承
大国主命と沼河姫神との間に生まれ、武神としての信仰が強い神であり、諏訪大社の御祭神、さらに全国に鎮座する諏訪神社の祭神として広く知られています。妃は八坂刀売命であり、諏訪大社の若御子社には二十二柱の御子神が祀られています。
古事記にて建御名方神が登場するのは、高天原と葦原中国との間で起こった「国譲り」の時になります。国譲りは「高天原の天照大御神は自らの子である「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命」が統治する場所として葦原中国を欲し、天津神を葦原中国に送り込み懐柔を試みるが失敗し最後は武力にって制圧、葦原中国の統治権を手中に収めた。」という話であり、これはヤマト朝廷と出雲国との間の抗争を描いているのではないか・・・幾度とヤマト朝廷から出雲国に使者が送られたが話に進捗が無かった(交渉決裂した?)事から最後は武力衝突が起こったという事を示している気がします。
古事記での国譲り
- 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の派遣
- 天照大御神より葦原中国の統治を命じられた天忍穂耳命は天の浮橋から下界を除き「葦原中国はとても騒がしく、とても私の手に負えるものではない。」と天照大御神に報告し葦原中国の統治権の簒奪には失敗した。
- 天菩比命の派遣
- 高御産巣日神と天照大御神は天の安の河の河原に八百万の神々を集め、葦原中国の統治権を獲得するにはどの神を派遣すべきか問うた。思金神と神々が相談して「天菩比命を派遣すべき」という結論になった。高御産巣日神と天照大御神は天菩比命に葦原中国を率いる大国主神の元へ行くよう(統治権を渡すよう交渉するように)命じた。しかし、天菩比命はあろうことか大国主神の家来となってしまい、派遣から3年経っても高天原に戻らずまたも葦原中国の統治権の簒奪には失敗した。
- 天若日子の派遣
- 天菩比命の失敗を受けて、再び高御産巣日神と天照大御神が八百万の神々に「今度はどの神を派遣すべきか」と問うと、八百万の神々と思金神が相談して「天津国玉神の子である天若日子を派遣すべき」と答えた。派遣に際し、天若日子に天之麻迦古弓)と天之羽々矢と与えて葦原中国に派遣した。しかし、天若日子は大国主神の娘の下照比売と結婚した事で、「自らが葦原中国の王になる。」と企んだ為、8年たっても高天原に戻らなかった。天若日子の行動を不審に思った天照大御神と高御産巣日神は八百万の神々と思金神の勧めで雉名鳴女を派遣して使命を果たさない理由を天若日子に尋ねさせた。葦原中国についた雉名鳴女が天若日子の家の前で大きな鳴き声をあげると、天佐具売が「この鳥は鳴き声が不吉なので射殺したほうが良い。」と天若日子をそそのかした。そこで彼は出立の際に与えられた天之波士弓と天之加久矢で雉名鳴女の胸を射抜た。その矢は雉名鳴女を貫くと天照大御神と高御産巣日神の所まで飛んで行った。高御産巣日神は飛んできた矢に血がついている事に気付き、この矢は天若日子に与えた天羽々矢であると神々に示して、「天若日子は命令に背かず、悪い神の射た矢が飛んで来たのなら、この矢は天若日子に当たらず、もし天若日子に邪心あれば、この矢は天若日子に当たれ」と言って矢を投げ返した。矢は朝の寝床に寝ていた天若日子の胸を射抜き、彼は死んでしまった。この天若日子の死によって三度葦原中国の統治権の簒奪に失敗した。
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天若日子(あめのわかひこ)
葦原中つ国を平定する為に高天原から遣わされた「天若日子」の紹介になります。中つ国につくやいなや大国主命の娘「下照比売命」を娶り、いつしか中つ国を我が物にしようと考える様になり、高天原の意向に従わなくなってしまった天若日子は・・・。
- 天若日子の死を嘆く下照比売の泣き声を、天にいる天若日子の父・天津国玉神や母が聞き、下界に降りて悲しみ喪屋を作った。天若日子によく似ていた阿遅志貴高日子根神が弔いに訪れた時、天若日子の父と妻が「我が子は死なないで生きていた」と言って阿遅志貴高日子根神に抱きついた。すると阿遅志貴高日子根神は「友人だからこそ弔問に来た。どうして穢らわしい死人と見間違えるのか」と怒り、大量という剣で喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。この喪屋が美濃国の喪山であるという。
- 建御雷神と天鳥船神の派遣
- 天照大御神は三度八百万の神々に「どの神を派遣すべきか。」と問うと、思金神と八百万の神々は「伊都尾羽張神か、その子の建御雷之男神を遣わすべき」と答えた。天照大御神が伊都尾羽張神に(派遣の事を)問うと「建御雷之男神を遣わすべき」と答えたので、建御雷神に天鳥船神を副えて葦原中国に派遣した。
建御雷之男神と天鳥船神は、出雲国の伊那佐之小浜に降り立つと、十掬剣を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座った。対面した大国主神に「この国は我が御子が治めるべきであると天照大御神は仰せられた。それをどう思うか」と訊ねた。大国主神は、自分の意見を聞く前に息子の八重事代主神に訊くよう言った。八重事代主神はその時、鳥や魚を獲りに出かけていたため、天鳥船神が八重事代主神を連れて帰り、国譲りを迫った。これに対して事代主神が「恐れ多いことです。言葉通りこの国を差し上げましょう」と答えると、隠れてしまった。
建御雷之男神が「事代主神は承知したが、国を譲るか」と大国主神に訊ねると、大国主神はもう一人の息子の建御名方神にも訊くよう言った。その時、建御名方神が千引石を手の先で持ち上げながらやって来て、「話し合いではなくこの国が欲しければ力競べをしようではないか」と建御雷之男神の手を掴んだ。建御雷之男神は掴まれた手をつららに変え、さらに剣に変化させた。逆に建御雷之男神が建御名方神の手を掴むと、若い葦を摘むように握りつぶして放り投げたので、建御名方神は逃げ出した。建御雷之男神は建御名方神を追いかけ、科野国の州羽の海まで追い詰めて殺そうとした。すると、建御名方神は「恐れ入りました。私はこの土地以外には出ません、父である大国主神や、兄弟の事代主神の言葉には背きません。仰せの通りにこの国を差し上げます。」と言い、建御雷之男神に降参した。
- 大国主神の国譲り
- 建御雷神は大国主神の元に戻り再度訊ねた。大国主神は「二人の息子が天津神に従うと言うのなら、私もこの国を天津神に差し上げます。その代わり、私の住む所として、天津神の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てて下さい。そうすれば私はこの国の統治から綺麗に手をひきます。そして私の百八十柱の子神たちは、長男の事代主神に従って天津神に従うでしょう。」と言った。大国主神のために出雲国の多芸志の小浜に宮殿が建てられ、水戸神の孫・櫛八玉神が沢山の料理を奉った。
こうして葦原中国の簒奪に成功した建御雷之男神は高天原に復命した。
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神々のデータ
神名 | 建御名方神 |
神祇 | 国津神 |
別称 | 建御名方富命、建御名方命 |
親 | 大国主神、沼河比売神 |
配偶 | 八坂刀売命 |
子 | 建御名方彦神別命、出早雄命、意岐萩命、妻科比売命、守達神、池生神、須波若彦命、片倉辺神、蓼科神、八杵命、内県神、外県神、大県神、恵奈武耳命、高杜神、妻岐萩命、都麻耶美豆比売命、奥津石建神、多都若比売神、垂比売神、竟富角神、大橡神 ※諏訪大社「上社」前宮境内にある若御子社に祀られている22柱の御子神 |
建御名方神を祀る神社
まとめ
建御名方神は上記の古事記での国譲りでは4番の建御雷神と天鳥船神の派遣の所で登場します。建御名方神は腕っぷしが強い事を強調しながら登場している事からも国津神の中では武神という側面が非常に強い神である事が読み取れるかと思います。ちなみに建御名方神を一蹴してしまう強さを示した建御雷之男神は伊邪那岐を焼き殺してしまった火之迦具土命の血から生まれた神になります。