神社を巡る

高根神社(浜松市浜名区尾野)延喜式内論社

2025年1月21日

神社情報

神社名高根神社
鎮座地静岡県浜松市浜名区尾野二千八百五十番地(GoogleMap
御祭神保食神
創 建不詳
社格等神饌幣帛料供進指定村社
神名帳延喜式神名帳:遠江国麁玉郡 多賀神社
文化財
例大祭二月初午の日
こちらも参照
境内社岩本神社(御祭神:岩本大神)
蚕養神社(御祭神:稚産霊神)
URL
御朱印
参拝日:2021-12-4

御由緒

三代格式」の中で唯一完全な状態で現存している「延喜式」の巻九・巻十は全国に鎮座する当時繁栄していたとされる神社を記載したという「神名帳」になっています。通称「延喜式神名帳」に記載されている神社を「式内社」と呼ぶのですが、今回紹介する「高根神社」は延喜式内社の論社となっています。

延喜式内社とは?

平安時代中期頃まで日本は「律令制度」によって国家運営が行われていました。

そもそも、この律令制度とはなんぞや?

飛鳥時代から平安時代中期頃まで日本の統治体制になります。「律(現在の刑法)」と「令(現在の民法)」によって国家運営を行う制度なので「律令制度」と呼ぶわけです。こういった規則というのは時代によって変わっていくのが一般的ですが、どうやら「律」と「令」は頻繁に改正するものではないらしく、その辺から考えると現在でいう所の「日本国憲法」に相当するのかなと思います。このため、時代に即した統治をおこなう為に作らるのが、「(現在の法令)」「(施行規則)」によって構成された「格式」になる訳です。こちらは何度か改正されている様なので、現在の「法律」に相当する物だと思います。

天平宝字元年(757年)に施行された「養老律令」の改訂版施工規則として作られたのが康保四年(967年)に施行された「延喜式」になります。延喜式は全五十巻からなっていて、一巻~十巻が神祇官について、十一巻~四十巻が太政官八省関係、四十一巻~四十九巻が宮司関係、五十巻が雑則となっています。このうち、九巻と十巻が冒頭にも述べている全国の神社が記載されている「神名帳」になります。

この事から、式内社とは、「日本の政府に認められた神社」であるという事ができるかと思います。

ちなみに、太政官八省の記述よりも朝廷の祭式を司る神祇官についての記述が先に来ている所を見ると、神祇官は太政官より上位であったことが分かります。

 延喜式神名帳に記載されている「遠江国麁玉郡 多賀神社」の論社となっている高根神社なんですが、創建は不詳であるが千百年前からこの地に祀られており、御祭神は「保食神うけもちのかみ」であるとしています。

麁玉郡式内社について

 延喜式神名帳に記載されている「麁玉郡」の神社は、於呂神社、多賀神社、長谷神社、若倭神社の四社になります。
 この四社に対して、式内社伝承社は、

  • 於呂神社 浜松市浜名区於呂三五二六番地
  • 於呂神社 浜松市浜名区道本二一〇番地
  • 高根神社 浜松市浜名区尾野二八五○番地
  • 六所神社 浜松市浜名区宮口一番地
  • 六所神社 浜松市浜名区堀谷四九九番地二号
  • 春日神社 浜松市中央区笠井町一三四八番地一号

の六社となっています。四社の式内社のいずれも比定社はなく、伝承社六社がそれぞれ論社となっているのがある意味特徴かと思います。

「於呂神社」の論社が浜名区於呂鎮座の於呂神社(1)と浜名区道本鎮座の於呂神社(2)であり、「多賀神社」の論社が高根神社(3)と浜名区宮口鎮座の六所神社(4)であり、「長谷神社」の論社が浜名区宮口鎮座の六所神社(4)と浜名区堀谷鎮座の六所神社(5)であり、「若倭神社」の論社が中央区笠井鎮座の春日神社(6)と浜名区宮口鎮座の六所神社(4)になります。

境内由緒板

式内 高根神社
祭神 保食神
祭日 初午の日
岩本神社 祭神 岩本大神(天狗)
蚕養神社 祭神 稚産霊神

 高根神社は一千有余年前から祭られ、始めは多賀神社といわれましたが、その後明治の初めまで観世音を併せ祭り、高根山観音と呼ばれていました。拝殿は足利時代の文亀二年(1502年)の造営といわれ総欅造りで茅葺でしたが昭和の末、銅板にしました。
 背後の岩の上のお社は、向かって右が高根神社の本殿、左が岩本神社で、高根神社の守護神とされていますが、その名の示す様に、古の巨石信仰の名残りと思われます。
 蚕養(蚕影)神社は、この下の表参道の脇に祭られており、養蚕の神とされています。
 高根神社は、衣食住を授け、また之等の生産の神として、古くから崇敬されています。なお、巨石の左右には、大戦末期の塹壕の跡があり、山頂には古墳もあります。

 神仏習合により伝承では行基上人が刻んだとする聖観世音菩薩像や馬頭観音などを本地仏として祀る「高根山観音」として崇敬を集めたようですが、明治政府による神仏分離令により観世音像などは麓の大宝寺に移され、仏教色を取り除き現在の高根神社となったそうですが、外陣と内陣が格子戸で分れた各地の霊場巡りでよく出会う観音堂の造りそのままで神社の拝殿に流用している非常に稀有な神社ではないかと思います。

土砂崩れによる拝殿の解体へ

 令和四年(2022年)の台風十五号は静岡県内に甚大な土砂災害をもたらしており、今回紹介している高根神社の境内も拝殿のすぐ際あたりから土砂崩れが発生し、拝殿が倒壊の可能性も出てしまったとか。土留めなどの復旧工事に数千万が必要となる試算もあり、室町時代建造の歴史的建造物ともいえる拝殿は安全性を確保する為に解体されてしまったそうです。

 この為、参拝記で紹介している拝殿は在りし日の思い出となってしまっている事をご理解頂けれと思います。

延喜式神名帳所載麁玉郡4座の内多賀神社は即ち当社なりと定む。中昔より高根神社と称ふ。この故は小野郷(今は尾野)より仰ぎ見る所の高根山なるを以て高根神社と改称せしものなるべし言ふ。遠江風土記伝亦高根山を式社とを定めて「多賀村屋敷より此山に移れりと日地ふ」とある。明治12年8月26日村社に列せられ、明治40年9月13日神饌幣帛料供進社に指定せらる。

昭和十六年発刊「静岡懸神社志」

御祭神

  • 保食神
  • 稚産霊神
  • 岩本大神

保食神とは

保食神うけもちのかみ古事記には登場せず、日本書紀の神生みの段の一書にのみ登場する神になります。日本書記のエピソードから「食物と豊穣の神」として崇敬されている神になります。

 天照大御神の命により月夜見尊は葦原中国にいる保食神を尋ねた。保食神は地に向かって米飯を、海に向かって魚を、山に向かって獣を吐き出し、これらを使ってもてなそうとしたが、月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは何事だ。」と怒り、保食神を斬ってしまった。これを聞いた天照大御神は月夜見尊とは絶縁してしまい昼と夜が分かれてしまったという。
 天照大御神が天熊人を派遣すると、保食神の屍体の頭から牛馬が、額から栗が、眉から蚕が、目から稗が、腹から稲が、陰部から麦・大豆・小豆が生まれていた。天熊人が持ち帰ると、天照大御神は民が生きていく為に必要な食物であるとして田畑の種とした。

日本書紀では上記のような話が記されています。それにしても、もてなそうとしていた神をいくら口から履いた物を食べさせようとしたとしても切り殺してしまう月夜見神は中々の激情神なのかもしれませんね。

参拝記

「於呂神社」から姫街道とも呼ばれている国道362号線を西に向かっていきます。全区間姫街道と呼ぶのか一部の区間だけを姫街道と呼ぶのかは今一分からない訳ですが、岡崎から三ケ日方面に向かう時によく使った国道になりますね。

境内入口

 国道からは一本路地に入った場所に高根神社の境内に通じる参道入口があります。少し奥まった場所に石造鳥居が据えられているので少しゆっくり進まないと通り過ぎてしまう可能性も・・・。
 境内に通じる参道は18の曲がり角があるそうです。(実際に登りましたが、曲がり角の数は全く気にしてなかったのでそんなに曲がったかなあっていうのが正直な所なんですが・・・上り坂でひぃひぃ言っていたのでそれどころじゃなかったってのも大きいかな?)

 こんな感じで軽いトレッキングの感じでひたすら登っていきます。

 色々調べると更なる崩落を避けるために参道周辺の木々を伐採したそうなんですが、現在どうなってしまったんでしょうか。

 木々の中の参道をひたすら進んでいくと、視界が広がりその先に拝殿の屋根が見えてきます。社殿周辺は非常に開放的で、参拝した日は12月上旬ですが、温かい日差しに包まれていました。

社殿

 文亀二年(1502年)に造営された拝殿になります。元々は高根山観音堂として建造され、明治政府の神仏分離政策によって仏教的要素を排除して高根神社の拝殿と生まれ変わったのですが、建物の造りに仏教の香りを感じてしまいます。

外陣部分と内陣部分が格子戸で仕切られている寺院でよく見かける造りになっています。新四国霊場や観音霊場を遍路しているとこうした造りとなっている太子堂や観音堂に出会う事がありますが、神社建築ではまず見かけない所から、こうした造りは仏教的な造りなんでしょうね。

本殿

 拝殿脇には高根山の山頂に通じる石段あり、中々の急坂が伸びています。この石段を登った先に高根神社の本殿と境内社の岩本神社の社が鎮座しています。

心子女神

 本殿に通じる石段の脇には心子女神が鎮座しています。説明板によると「心臓・子宮・胃腸等を司る神様で、その霊験は顕著であります。子宝に恵まれない方や、心臓・子宮・胃や腸に何等かの異常のある方は、心よりお祈りすることにより、病気を平癒するとされて居ます。」とあります。高根山自体が山岳信仰や巨石信仰の霊場として崇敬を集めていたこともあって、心子女神はこうした信仰の流れを汲んでいると思います。

高根山古墳

 本殿が鎮座している場所からさらに山頂方面に向かって歩いていくと、高根山古墳と呼ばれる墳丘があります。この古墳の特徴は封土が流出してしまっていて横穴式石室がむき出しになっている所です。

 姉妹サイトでは愛知県内の古墳も何ヶ所か紹介していて徐々に古墳の魅力に取りつかれつつあるんですが、こうして石室をじっくり観察できる古墳は少ないのでとてもお勧め度の高い古墳になるかと思います。汚れてもいい服装だったりしたら石室の中に入れる点も好ポイントですね。

高根山防空壕

 古墳から少し山を下った所に太平洋戦争の戦争遺跡となる防空壕跡があります。防空壕に通じる切り掛けの道がまるで塹壕の様に素掘りのままになっているのがより一層のリアリティーを感じさせます。

 防空壕入口は石済みで土崩れを防ぐ造りになっています。さすがに中に潜る事はしなかったのですが、想像以上にしっかりと防空壕としての造りが残っている感じがします。この防空壕は実際に使われたことがあるのかな。

地図で鎮座地を確認

神社名高根神社
鎮座地静岡県浜松市浜名区尾野二千八百五十番地(GoogleMap
最寄駅鉄道:天竜浜名湖鉄道「宮口駅」徒歩13分

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