
神社情報
神社名 | 素戔嗚神社 |
鎮座地 | 愛知県蒲郡市形原町羽栗二番地 |
御祭神 | 素盞嗚尊 |
創 建 | 不詳 |
社格等 | 神饌幣帛料供進指定村社 |
神名帳 | ー |
文化財 | ー |
例大祭 | 十月第二日曜日 |
境内社 | 子護岩 |
URL | ー |
御朱印 | ー |
参拝日:2020年10月10日 |
御由緒
創建については不詳。
「慶長五年(1600年)四月五日、造立牛頭天王社 祢宜 三郎左ヱ門尉」と記された棟札が現存している事から、これ以前からこの地に牛頭天王を奉安する社が鎮座していたと考えられます。
元和六年(1620年)形原藩主松平清直、社領二石寄進。以後明治時代まで変わらず。
寛文八年(1668年)、宝暦四年(1754年)社殿改築に領主の寄進あり。
明治政府による神仏分離令により、御祭神を牛頭天王から素盞嗚尊に変更し、素盞嗚神社と改称。明治九年に村社に列格、大正六年、神饌幣帛料供進指定社となる。
御祭神
- 素盞嗚尊
牛頭天王は祇園精舎の守護神とされ、神仏習合の考えの一つである「本地垂迹」では薬師如来の垂迹であり素盞嗚尊の本地であるとされていました。江戸時代までは祇園の八坂神社または津島の津島神社から勧請され全国的に祇園社・天王社で祀られていました。
明治政府によって行われた神仏分離では各権現共に並んで通達されるほど強制的に仏教要素を排除させられた上で素盞嗚尊を御祭神とする神社組織に再編されたといいます。その為、江戸時代までは全国的に信仰されていた”牛頭天王”は現在では全く見なくなってしまっています。
参拝記
今回紹介する素盞嗚神社は形原神社の一の鳥居から西に200m進んだ場所に鎮座しています。古い地図を見るとこの素戔嗚神社周辺は「森」と呼ばれていた地域だったようで、この森の産土神が素盞嗚神社になります。昭和初期に行われた形原神社の一の鳥居建立によって形原神社の参道に面するように鎮座している神社といった雰囲気になっています。
境内入口

少し見切れていますが社号標と一対の石灯籠と切り出した石材そのままの姿による石柱門が据えられた境内入口になります。
社号標

旧社格である「村社」(村の部分がコンクリートで埋められています。)が彫られた社号標です。
一の鳥居

扁額が掲げられた明神鳥居の一の鳥居になります。建立年は大正二年なんですが、石材の表面を見ているとそこまで古く感じませんね。

一の鳥居を潜ると、境内に向かって石段による参道が伸びています。その石段の脇には・・・
力石

神社で見かける事が結構ある「ちから石」が置かれていました。この石は242kgとずば抜けて重い気もしますが、当時はこの石を持ちあげる事ができた人がいたのかな?
二の鳥居

石段を上ると、境内の中ほどに据えられた明神鳥居の二の鳥居が据えられています。
手水舎

木造銅板葺き二本柱タイプの手水舎になります。水盤の左右に花が飾られていたり、水盤が綺麗に磨かれていたり、氏子の方達による日頃の管理が行き届いている事がよくわかりますね。
狛犬

大正九年生まれの狛犬一対になります。
社殿

入母屋造瓦葺平入の高覧のある濡れ縁が設けられた拝殿を有する社殿になります。本殿は切妻瓦葺妻入りの覆殿の中に鎮座しているようです。

境内社

境内社として紹介していいのかは疑問ですが、社殿向かって右側に据えられている「子護岩」になります。その名の通り、子供を守ってくれる神徳がある岩なんでしょうか。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 素盞嗚神社 |
鎮座地 | 愛知県蒲郡市形原町羽栗二番地 |
最寄駅 | あじさいくるりんバス「森観音バス停」徒歩3分 |
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