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須倍神社(浜松市浜名区都田町)延喜式内社

2025年2月2日

神社情報

神社名須倍神社
鎮座地静岡県浜松市浜名区都田町六二八四番地(GoogleMap
御祭神天照大御神
豊受姫大神
創 建仁和三年(883年)
社格等郷社
神名帳延喜式神名帳 遠江国引佐郡 須倍神社
文化財
例大祭十月十五日
境内社秋葉神社(御祭神:火之加具土命)
津島神社(御祭神:建速須佐之男命)
姥神社(御祭神:石凝姥命)
URLhttps://katm428.jpn.org/
御朱印
参拝日:2021-12-4

御由緒

三代格式」の中で唯一完全な状態で現存している「延喜式」の巻九・巻十は全国に鎮座する当時繁栄していたとされる神社を記載したという「神名帳」になっています。通称「延喜式神名帳」に記載されている神社を「式内社」と呼ぶのですが、今回紹介する「須倍神社」は延喜式内社の論社となっています。

延喜式内社とは?

平安時代中期頃まで日本は「律令制度」によって国家運営が行われていました。

そもそも、この律令制度とはなんぞや?

飛鳥時代から平安時代中期頃まで日本の統治体制になります。「律(現在の刑法)」と「令(現在の民法)」によって国家運営を行う制度なので「律令制度」と呼ぶわけです。こういった規則というのは時代によって変わっていくのが一般的ですが、どうやら「律」と「令」は頻繁に改正するものではないらしく、その辺から考えると現在でいう所の「日本国憲法」に相当するのかなと思います。このため、時代に即した統治をおこなう為に作らるのが、「(現在の法令)」「(施行規則)」によって構成された「格式」になる訳です。こちらは何度か改正されている様なので、現在の「法律」に相当する物だと思います。

天平宝字元年(757年)に施行された「養老律令」の改訂版施工規則として作られたのが康保四年(967年)に施行された「延喜式」になります。延喜式は全五十巻からなっていて、一巻~十巻が神祇官について、十一巻~四十巻が太政官八省関係、四十一巻~四十九巻が宮司関係、五十巻が雑則となっています。このうち、九巻と十巻が冒頭にも述べている全国の神社が記載されている「神名帳」になります。

この事から、式内社とは、「日本の政府に認められた神社」であるという事ができるかと思います。

ちなみに、太政官八省の記述よりも朝廷の祭式を司る神祇官についての記述が先に来ている所を見ると、神祇官は太政官より上位であったことが分かります。

 須倍神社は延喜式神名帳に記載されている「遠江国引佐郡 須倍神社」に比定されている神社になります。第五八代光孝天皇の御代である仁和三年(887年)に創建。この地は(伊勢)神宮の御厨として発達した土地であることから神宮を勧請奉祀したという。

引佐郡式内社について

 延喜式神名帳に記載されている「引佐郡」の神社は、渭伊神社、乎豆神社、三宅神社、蜂前神社、須倍神社、大セチ神社の六社になります。この六社に対し式内伝承社は、

  • 渭伊神社 浜松市浜名区引佐町井伊谷一一五〇番地
  • 乎豆神社 浜松市浜名区細江町中川四六四一番地一号
  • 二宮神社 浜松市浜名区引佐町井伊谷三〇六番地
  • 蜂前神社 浜松市浜名区細江町中川六九一五番地
  • 須倍神社 浜松市浜名区都田町六二八四番地
  • 三嶽神社 浜松市浜名区引佐町三嶽五九七番地
  • 細江神社 浜松市浜名区細江町気賀九九六番地
  • 四所神社 浜松市浜名区滝沢町一五八番地一号

の八社となっています。6番三嶽神社、7番細江神社、8番四所神社は大セチ神社の論社ですが、それ以外の式内社については論社がなく比定社が多い地域とも言えます。

  • 仁和三年(887年)、創建
  • 延喜二年(902年)、上都田内宮と下都田外宮を合祀
    • 現在の境内地に遷座し、社名を須倍神社と称するようになった。
  • 明治六年三月、郷社に列格する。
  • 明治七年五月、村内六十九社を合祀
  • 明治四十年六月、神饌幣帛料供進指定社となる。

御祭神

明治七年に村内六十九社を外宮に合祀している為、御祭神が非常に多くなっています。

内宮

  • 天照大御神
  • 天手力男命
  • 拷幡千々比売命

外宮

  • 豊受姫大神
  • 皇孫邇々藝命
  • 天児屋根命
  • 天太玉主命

磐之姫命 大地主命 品陀和気命 大雀命 大山津見命 菊理比売命 経津主神 武甕槌神 大己貴命 神武天皇 宇麻志麻智命 日本武尊 伊邪那美神 保食神 金山比古神 田心姫命 市杵島姫命 湍津姫命 天忍穂耳命 天穂日命 天津彦根命 活津彦根命 熊野橡樟日命 菅原神 思兼神 金山彦命 健御名方命 天手力男命 宇迦之御魂神 麓山祇命 御穂須々美神 彌都波能売神 蛭子命 御井神 素戔鳴命 忌部神 加具土神 猿田毘古命 少毘古那神 志那都比古神

参拝記

「六所神社」の参拝を終え、再び国道362号線を西にAZ-1を走らせていきます。都田川を渡河すると天竜浜名湖鉄道の路線とランデブーするように並走する区間が続いていくのですが、そのランデブー区間の最初の方に今回参拝する「須倍神社」があります。

境内入口

 太鼓橋、石造灯篭一対、石造神明鳥居が据えられた境内入口になります。参道はなだらかな上り坂となっていて緩やかな石段が続いています。

 参道途中にある二の鳥居になります。この鳥居は石造ではなく塩ビパイプのようなもので造られていますが触って確かめた訳ではないのでもしかしたら真鍮製だったのかも?

手水舎

 木造銅板葺四本柱タイプの手水舎になります。個人的には中々バランスの取れた手水舎ではないかなと思います。

社殿

 神明造風の銅板葺き平入の拝殿を有する社殿になります。由緒の御祭神の所で内宮、外宮と紹介していますが、ここ須倍神社の本殿は御垣内の中でそれぞれの本殿が並んで鎮座しています。

 向かって右側が内宮、向かって左側が外宮の本殿になるはずです。合併後にこうして相殿ではなく本殿を分けている神社は色々な諸事情もあって非常に少数だと思うのですが、こうして御垣内に本殿が並んで立っている様子を見ると非常に重厚感を感じてしまいます。

元々御垣内は露天の祭場ではなかったかと思うのですが、現在はそれぞれの本殿の幣殿を繋ぐ渡殿が設けられています。

境内社

向かって右側に秋葉神社、向かって左側に津島神社、姥神社の相殿になります。

地図で鎮座地を確認

神社名須倍神社
鎮座地静岡県浜松市浜名区都田町六二八四番地(GoogleMap
最寄駅鉄道:天竜浜名湖鉄道「常葉学園前駅」徒歩9分

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