日本書紀とは?
養老四年(720年)に完成したとする日本最古の正史である「日本書紀」(やまとぶみ・にほんしょき)になります。ほぼ同時期に造られたという「古事記」と何かと対比されがちな傾向にあります。先にも述べましたが、「日本書紀」は正史として国内外に発信すべく造られた書であり、「古事記」は物語調でもあり国内に向けて天皇の正統性を発信する書であり、編纂目的は大きく異なっています。こうして異なった目的で編纂されたこともあり、古事記は物語調という事もあり非常に読みやすい書であるのに対し、日本書紀は年代を追って書く編年体を取っていて正直呼んでも面白くは・・・・。
同時期に編纂されたこともあり、物語の冒頭から巻末までの範囲はほぼ同じなわけで、古事記と日本書紀を読み比べていくと飛鳥時代から奈良時代にかけての日本のあり様が見えてくるのではないでしょうか。
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活目入彦五十狹茅天皇<垂仁天皇>とは?
活目入彦五十狹茅天皇<垂仁天皇>は第十代垂仁天皇の第三子として垂仁天皇二十九年に瑞籬宮にて生まれています。日本神話最大の英雄とされる「ヤマトタケル」の祖父にあたります。異母姉(妹?)に初代斎宮とも言われ、天皇の居所から天照大御神を倭の笠縫邑に遷座し、神籬を立てて祀った「豊鍬入姫命」がいます。崇神天皇六十八年に崇神天皇が崩御すると、第十一代天皇として即位、垂仁天皇九十九年に崩御された在位九十九年の天皇になります。
本文
活目入彦五十狹茅天皇 御間城入彦五十瓊殖天皇第三子也 母皇后曰御間城姫 大彦命之女也 天皇 以御間城天皇廿九年歲次壬子春正月己亥朔生於瑞籬宮 生而有岐㠜之姿 及壯倜儻大度 率性任眞 無所矯飾 天皇愛之 引置左右 廿四歲 因夢祥 以立爲皇太子 六十八年冬十二月 御間城入彦五十瓊殖天皇崩
元年春正月丁丑朔戊寅 皇太子卽天皇位 冬十月癸卯朔癸丑 葬御間城天皇於山邊道上陵 十一月壬申朔癸酉 尊皇后曰皇太后 是年也 太歲壬辰
二年春二月辛未朔己卯 立狹穗姫爲皇后 后生譽津別命 生而天皇愛之 常在左右 及壯而不言 冬十月 更都於纏向 是謂珠城宮也 是歲 任那人蘇那曷叱智請之 欲歸于国 蓋先皇之世來朝未還歟 故敦賞蘇那曷叱智 仍齎赤絹一百匹 賜任那王 然 新羅人遮之於道而奪焉 其二国之怨 始起於是時也
- 岐㠜 : 「身の丈高い、優れている」の意
- 引置左右 : 「身辺に留めおく」の意
現代語訳
活目入彦五十狹茅天皇は御間城入彦五十瓊殖天皇(崇神天皇)の第三子になります。母は皇后である御間城姫であり、大彦命の娘になります。天皇は御間城天皇二十九年に壬子の春正月一日に瑞籬宮にて生まれました。生まれた時から立派なお姿をされていました。成長されると非常に度量が大きい人物となり、人となりも正直で、自らを飾ったり偏屈な所はまったくありませんでした。天皇(崇神天皇)に可愛がられ、常に身近に留めおかれていました。二十四歳の時、夢のお告げにより皇太子となられました。 六十八年冬十二月、御間城入彦五十瓊殖天皇が崩御されました。
元年正月二日、皇太子は天皇に即位された。冬の十月十一日、御間城天皇を山辺道上陵に葬った。十一月二日、皇后を尊び皇太后とされた。この年を太歳壬辰という。
二年春二月九日、狭穂姫を皇后にされ、誉津別命をお産みになれた。天皇はこの皇子を非常に愛し、常に身近に置かれていた。大きく成長されても言葉を発しませんでした。冬十月、纏向に都を造営され、これを珠城宮という。この年、任那人である蘇那曷叱智が「国に帰りたい。」と嘆願してきました。先皇の時にこの国を訪れてからまだ帰国していなかった様で、蘇那曷叱智にたくさんの褒美を与えました。赤絹を一百匹持たせて任那の王に遣わせました。しかし、新羅人がこの帰国の道中に奪い去ってしまいました。この時の二国の恨みはこの時初めて起こりました。
登場した人々
- 活目入彦五十狹茅天皇(第十一代垂仁天皇)
- 御間城入彦五十瓊殖天皇(第十代崇神天皇)
- 御間城姫
- 大彦命
- 狭穂姫
- 誉津別命
- 古事記では「本牟智和気命」または「品牟津和気命」と表記
- 蘇那曷叱智
- 崇神天皇六十五年七月に任那から朝貢のため来朝し、垂仁天皇二年に帰国。日本書記における蘇那曷叱智の記述は倭国と加耶の交易(渡来)時期の始まりを示すものであり、朝鮮半島における加耶と新羅の争いの始まりを伝えていると言われています。
まとめ
崇神天皇の御代に皇居より天照大御神の御神体とされる「八咫鏡」が笠縫邑に遷座され、それまでのヤマト朝廷における「祭政一致」の体制からの脱却(祭政分離)が徐々に進んでいく時期に即位したとされるのが垂仁天皇になります。そして神々の時代から人々の時代へと移り変わっていく中で子供の名前に「命」がつく最後の天皇でもあります。(十二代景行天皇の子供から「皇子/皇女」または「尊」となります。)
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日本書紀を読んでいくにあったって、原文は漢文で書かれているので非常に読み込むのが困難なので、現代語訳されている本が一冊あると助かるかと思います。当サイトでは、戦前から日本書記の翻訳本として有名な岩波文庫の日本書記を非常に参考にさせて頂いています。
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