
活目入彦五十狹茅天皇<垂仁天皇>とは?
活目入彦五十狹茅天皇<垂仁天皇>は第十代垂仁天皇の第三子として垂仁天皇二十九年に瑞籬宮にて生まれています。日本神話最大の英雄とされる「ヤマトタケル」の祖父にあたります。異母姉(妹?)に初代斎宮とも言われ、天皇の居所から天照大御神を倭の笠縫邑に遷座し、神籬を立てて祀った「豊鍬入姫命」がいます。崇神天皇六十八年に崇神天皇が崩御すると、第十一代天皇として即位、垂仁天皇九十九年に崩御された在位九十九年の天皇になります。
本文
活目入彦五十狹茅天皇 御間城入彦五十瓊殖天皇第三子也 母皇后曰御間城姫 大彦命之女也 天皇 以御間城天皇廿九年歲次壬子春正月己亥朔生於瑞籬宮 生而有岐㠜之姿 及壯倜儻大度 率性任眞 無所矯飾 天皇愛之 引置左右 廿四歲 因夢祥 以立爲皇太子 六十八年冬十二月 御間城入彦五十瓊殖天皇崩
元年春正月丁丑朔戊寅 皇太子卽天皇位 冬十月癸卯朔癸丑 葬御間城天皇於山邊道上陵 十一月壬申朔癸酉 尊皇后曰皇太后 是年也 太歲壬辰
二年春二月辛未朔己卯 立狹穗姫爲皇后 后生譽津別命 生而天皇愛之 常在左右 及壯而不言 冬十月 更都於纏向 是謂珠城宮也 是歲 任那人蘇那曷叱智請之 欲歸于国 蓋先皇之世來朝未還歟 故敦賞蘇那曷叱智 仍齎赤絹一百匹 賜任那王 然 新羅人遮之於道而奪焉 其二国之怨 始起於是時也
- 岐㠜 : 「身の丈高い、優れている」の意
- 引置左右 : 「身辺に留めおく」の意
登場した人々
- 活目入彦五十狹茅天皇(第十一代垂仁天皇)
- 御間城入彦五十瓊殖天皇(第十代崇神天皇)
- 御間城姫
- 大彦命
- 狭穂姫
- 誉津別命
- 古事記では「本牟智和気命」または「品牟津和気命」と表記
- 蘇那曷叱智
- 崇神天皇六十五年七月に任那から朝貢のため来朝し、垂仁天皇二年に帰国。日本書記における蘇那曷叱智の記述は倭国と加耶の交易(渡来)時期の始まりを示すものであり、朝鮮半島における加耶と新羅の争いの始まりを伝えていると言われています。
まとめ
崇神天皇の御代に皇居より天照大御神の御神体とされる「八咫鏡」が笠縫邑に遷座され、それまでのヤマト朝廷における「祭政一致」の体制からの脱却(祭政分離)が徐々に進んでいく時期に即位したとされるのが垂仁天皇になります。そして神々の時代から人々の時代へと移り変わっていく中で子供の名前に「命」がつく最後の天皇でもあります。(十二代景行天皇の子供から「皇子/皇女」または「尊」となります。)
日本書紀を読んでいくにあったって、原文は漢文で書かれているので非常に読み込むのが困難なので、現代語訳されている本が一冊あると助かるかと思います。当サイトでは、戦前から日本書記の翻訳本として有名な岩波文庫の日本書記を非常に参考にさせて頂いています。