神社情報
神社名 | 椎ヶ脇神社 |
鎮座地 | 静岡県浜松市天竜区二俣町鹿島一番地十四号(GoogleMap) |
御祭神 | 闇淤加美命 豊玉比売神 天照大御神(合祀・神明神社御祭神) 菊理姫神(合祀・白山神社御祭神) 彌都波能売神(合祀・水神社御祭神) |
創 建 | 延暦二十年(801年) |
社格等 | 郷社 |
神名帳 | 延喜式神名帳 遠江国長下郡 猪家神社 |
文化財 | ー |
例大祭 | 1月中旬日曜日 |

御由緒
延暦二十年(801年)、征夷大将軍に任ぜられた「坂上田村麻呂(758-811)」率いる軍勢がが陸奥地方の蝦夷反賊の討伐の為この地を通った時、天竜川が洪水氾濫を起こし磐田の海と重なって大海となってしまい、東岸に渡る事が出来ず立ち往生してしまったという。この地に住む者達が筏を作り将軍(率いる軍勢)を渡したところ、将軍は大変喜び、この地に減水を祈願し「闇於加美神」を祀り賜ったという。
将軍が蝦夷討伐からの帰京の際、当社を参拝し、「鬼神丸」と呼ぶ太刀を奉納したという。
往古は猪家神社と称していたし、延喜式神名帳に記されている「遠江国長下郡 猪家神社」は当社であるとする。天竜川の深淵があり、そこの断崖絶壁上に巨木の椎の木があった事からいつしか椎ヶ淵に臨んだ神社という事から「椎ヶ脇神社」と呼ばれるようになったという。
坂上田村麻呂伝説
椎ヶ脇神社の由緒に登場する「坂上田村麻呂」の伝承が近隣に鎮座する高野山真言宗の別格本山である「竜宮山岩水寺」にも残っている様です。この岩水寺の境内社に「田村将軍神社」が鎮座しており、また田村将軍の守り本尊(十一面観世音菩薩)と持念仏(阿弥陀如来)を鬼門・裏鬼門の守り本尊として奉安しているそうです。
天竜川龍神伝説
桓武天皇の延暦年間(西暦七八二年〜八〇五年)、勅命により東国へ向かっておられた坂上田村麻呂将軍は、曳馬(浜松市)北方守護である玄武神の霊威を意味する船岡山(現在の浜松市東区半田山〜浜北区内野台)に到着されました。それより先の天竜川はその当時、岩田の海と呼ばれる程広く、非常に荒れており、地域の人々を困らせていました。
そこで田村将軍は船岡山から鬼門(北東)にある岩水寺に参拝し、一夜の宿を取られました。そして総本尊様であるお薬師様に、何卒苦しむ衆生を、民を救いたまえと御祈願されました。
すると岩水寺のすぐ東側、岩田の海、袖ヶ浦と呼ばれる地域(現在の天竜区二俣町鹿島)、にて荒れ狂う海から、美しい玉袖と名乗る姫がお薬師様の神々しい光と共に現れました。
将軍様の奥方に迎えられた玉袖。やがて玉袖は身重となりました。いよいよ出産という時、四方四間の産屋を建ててもらい「わらわが産み終わって出てくるまで、決してこの中を覗かれないで下さい。」と、将軍に堅く言いおいて産屋へ入られました。
それから七日経ちましたが一向に出る気配がありません。外は大嵐となり、心配になった将軍がふと産屋の節穴より覗いてみると、中には二十尋(三十メートル)はあろうかという大蛇が七巻半たむろして赤子を舐めていました。驚いた将軍は産屋を蹴破り、中に入り込もうとするや、目の前に赤子を抱いた美女、玉袖姫が現れました。
「自分はこの海に住む蛇であります。お薬師様のお力で将軍様にお仕えする事が出来ましたが、本来の姿を見られた限りお別れしなくてはなりません。ただこの子はあなた様のお子であります。どうか立派な武将にお育て下さいませ。」と2つの宝珠を渡して岩水寺の赤池(閼伽池)へ消えて行かれました。
それから八年の年月が経ち、将軍は再び勅を奉じ一子赤蛇丸(後の俊光)を同行しこの地に来ました。そして荒れ狂う岩田の海に水干の玉を投げ入れました。すると海はたちまち汐が引き広々とした陸地になりました。
水が干上がった時赤蛇は岩水寺の赤池(閼伽池)に隠れ、そこから奥の洞穴(鍾乳洞)に入り、その後鹿島の椎ケ渕へ入られました。現在の浜松市天竜区の椎ケ脇神社は将軍がこの赤蛇を祀ったものであります。またその玉が奉じられているのが浜松市東区の有玉神社です。また鍾乳洞は信州(長野県)の諏訪湖に繋がっていると云われております。
その後成長された俊光公は母の姿を知らない事を悲しく思い、母を地蔵菩薩として崇めたい旨を天子に奏上されました。父が寵愛の頃の姿を現し給えと願い一七日間(一週間)参籠されました。満願の夜、雷鳴轟く豪雨の中に母が現れ「玉袖のかわく間もなしここに来てわれ母ならば子安をぞいのる」といいつつ姿を消されました。
かくて俊光公は衆生済度法悦楽土を築く為に御母玉袖の姿をお比丘尼如来像とし、弘法大師空海上人一刀三礼の地蔵尊を銘「子安地蔵大菩薩」(国指定重要文化財)として岩水寺に安置されました。
岩水寺に伝わる伝承と椎ヶ淵神社の伝承を考察すると、坂上田村麻呂が闇淤加美命を祀ったのは二度目にこの地を訪れた時の事のようですね。龍神伝説の中でもふれていますが、「闇淤加美命=赤蛇」である様です。また、天竜川があれていた時に岩水寺から塔婆を赤蛇が祀られている椎ヶ脇神社へ納めた所、天竜川の氾濫が治まったという事で、江戸時代には毎年七月七日、明治から昭和中期までは毎年大晦日に椎ヶ脇神社へ塔婆を治める行事が行われていたとか。この事から、岩水寺と椎ヶ脇神社の深い関係性が見て取る事が出来るかと思います。
赤池を訪問
水が引いた時、赤蛇が隠れたという赤池(閼伽池)。この池の奥に諏訪湖に通じると言われている鍾乳洞があるようです。
御祭神
闇淤加美命とは
伊邪那美神が迦具土神を産んだことにより陰部を焼かれて死んでしまった時、伊邪那岐神は怒りのあまり迦具土神を頸を切り落としてしまいます。この時、切った刀の柄に貯まった迦具土神の血が伊邪那岐神の指の間から漏れ出て化生した神が「闇淤加美神」・「闇御津羽神」であるという。
淤加美は「靇」とも書き、龍を意味しているとされ、「水を掌る龍神」であると考えられています。まさに、坂上田村麻呂が天竜川の氾濫を鎮めるために「水を掌る龍神=闇淤加美命」を祀ったという事なのでしょう。
参拝記
浜松市天竜区の鹿島と二俣を繋ぐ国道362号線の鹿島橋の右岸側と県道9号線との交差点の角に石段の脇に椎ヶ脇神社の社号標が据えられています。歩きの場合はこの石段を登って進んでいくと椎ヶ脇神社の境内に行けるのですが、車の場合は、県道9号を少し進んで最初の交差点を左折して神社方面に行く必要があります。
境内入口
石灯籠一対、幟立石一対、扁額が掲げられた明神鳥居、その奥に神門が建てられている椎ヶ脇神社の境内入口になります。実はこの写真を撮影している場所の左手に社務所があって、この境内入口は少し奥まった場所にあったります。
神門
最初は随神門かな?って思っていたのですが、随神が安置されている場所には御幣が掲げられていたので、最初からこの様式だったのかは不明ですが、神門と紹介させてもらいます。
手水舎
瓦葺木造四本柱タイプの手水舎になります。柱の転び具合と屋根の大きさが中々絶妙な視覚的バランスになっているかと思います。
狛犬
昭和初期の中々の筋肉美?を持った狛犬一対になります。
社殿
入母屋造瓦葺平入の向拝が設けられた拝殿を有する社殿になります。
境内社
田村社
宝篋印塔
社殿脇には坂上田村麻呂を御祭神とする田村社と由緒がまったく分からない宝篋印塔が安置されています。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 椎ヶ脇神社 |
鎮座地 | 静岡県浜松市天竜区二俣町鹿島一番地十四号(GoogleMap) |
最寄駅 | 電車:天竜浜名湖鉄道・遠州鉄道 「西鹿島駅」徒歩16分 バス:遠鉄バス「天竜病院坂下バス停」徒歩3分 |
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