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狭岡神社(奈良県奈良市法蓮町)延喜式内社

2025年4月19日

神社情報

神社名狭岡神社
鎮座地奈良県奈良市法蓮町六〇四番地
御祭神若山咋神
若年神
若沙那売神
彌豆麻岐神
夏高津日神
秋毘賣神
久久年神
久久紀若室葛根神
創 建霊亀二年(715年)
社格等村社
神名帳延喜式神名帳:大和国添上郡 狭岡神社八座
文化財
例大祭十月九日
境内社四所神社
 御祭神:伊弉諾大神・天照大神・住吉大神・春日大神・天満大神・八幡大神
惣社殿
 御祭神:地主之神・金山彦神・事代主神
URL
御朱印
参拝日:2025-04-05

御由緒

 霊亀二年(715年)、藤原不比等は国家鎮護、藤原氏繁栄の為に己の自宅があった佐保殿の丘上に天神八座を祭祀崇拝したという。これが佐保丘天神、狭穂岡天神、狭加岡天神となり狭岡神社となったと伝える。
 仁寿二年(852年)十一月、従五位下を授けられる。また、藤原氏の氏神である春日大明神が御蓋山に遷座奉斎されると、藤原氏の公家・女官達は春日詣の前に佐保殿と呼ばれる狭岡神社にて「日待神事」にて禊を行った上で春日詣を行ったという。

  • 霊亀二年(715年):藤原不比等により創建
  • 仁寿二年(852年):従五位下を授けられる。
  • 応永三十四年(1427年):春日大社式年造営に際し第三殿を購入

 狭岡神社が鎮座する周辺は古来より「佐保」と呼ばれる地域であり、古事記、日本書紀の垂仁天皇の段において天皇対し謀叛を起こす狭穂彦王・狭穂姫の拠点があった場所であるとされ、大伴安麻呂は佐保大納言と呼ばれ、大伴家持の弟が佐保山で火葬されるなど大伴氏と何らかの関係を持つ場所であるとも伝えられています。そして、神社の由緒にある様に藤原不比等が佐保周辺に邸宅を構えていたとするなど、飛鳥時代から奈良時代にかけて有力豪族に関係がある場所となっています。それが関連しているのかどうかは不明ですが、全国に国分寺・国分尼寺、東大寺・大仏の建立の勅命を発した「聖武天皇」の陵も佐保にあったりします。

狭岡神社由緒
 本狭岡神社は霊亀二年(西暦715年)藤原不比等(淡海公)が、国家鎮護、藤原氏繁栄のため勅許により己のが邸宅佐保殿の丘上に天神八座を祭祀し、崇拝しました。これが佐保丘天神、狭穂岡天神、狭加岡天神となって、今の狭岡神社になったのであります。
 次いで藤原淡海公は天平神護景雲年間に河内の国枚岡より、藤原氏の祖神である春日大明神を大和の国奈良の御蓋山へ移され祭祀せられました。これが今の春日神社であります。それ以来国政の大事や、氏神春日詣りには、藤原氏一門(公家、女官たち)が、この佐保殿に集まり、必ず狭岡天神に参籠して『日待ちの神事』奉行精進潔斎をして、それより日の出を待って国政に掌り、春日社詣をしたと古事に出ています。
 現在の狭岡神社は佐保の里一円の氏神様で、昔から、産業の天神、智恵の天神、災難よけの天神さんであると崇拝され、その霊験あらたかなことは氏子中ではよく知られているところであります。

狭穂姫の伝説
 狭穂姫、佐保姫、佐保川、佐保山と、佐保山のあちこちに『サホヒメ』の伝説が、山や谷間の霧のように二千年の歴史を秘めて漂うている。
 当社境内にある『洗濯池』『姿見池』『鏡池』は、古事記や日本書紀に出ている狭穂姫(沙本毘売命、佐波遅比売、佐保姫)の伝説池であります。
 佐穂姫の母は沙本之大闇見戸売、「サホノオオクラミトメ」父は日子坐王「ヒコイノマスノキミ」狭穂姫は母の所領が狭穂の丘陵にあったので幼小から成人するまで母と住んでいた。若い垂仁天皇とこの泉のほとりで恋のロマンスが生まれて垂仁天皇の皇后になられました。狭穂姫は反逆の兄上に殉じられた故か陵碑はどこにも現存しない。当神社の『洗濯池、鏡池』の伝説は貴重な存在で碑は現在常陸神社にあり何とか話し合って、何れかに永久保存にもっていくことが大事であると思う。

由緒書

御祭神

  • 若山咋神
  • 若年神
  • 若沙那売神
  • 彌豆麻岐神
  • 夏高津日神
  • 秋毘賣神
  • 久久年神
  • 久久紀若室葛根神

 狭岡神社の御祭神の八柱は羽山戸神と大気都比売神との間に生まれた神であり、古事記のみ登場する「大年神」の系譜になり、農作に関連する神々になります。

 古くは「天神さん」と呼ばれ「菅原天神の隠居」であると伝えられ、一般には菅原道真を祭る神社であると思われていた様です。

式内社

  • 延喜式神名帳 狭岡神社八座 大和国添上郡鎮座

 上記の通り、古来は天神社として祀られていた狭岡神社である事から、明治七年の神社明細帳では「或説云式内狭岡神社」と記されているだけで、式内社であるとする理由は「佐保」が「サオカ」と転訛したという点のみであると指摘する説もあります。

三代格式」の中で唯一完全な状態で現存している「延喜式」の巻九・巻十は全国に鎮座する当時繁栄していたとされる神社を記載したという「神名帳」になっています。通称「延喜式神名帳」に記載されている神社を「式内社」と呼ぶのですが、今回紹介する「狭岡神社」は延喜式内社の論社となっています。

延喜式内社とは?

平安時代中期頃まで日本は「律令制度」によって国家運営が行われていました。

そもそも、この律令制度とはなんぞや?

飛鳥時代から平安時代中期頃まで日本の統治体制になります。「律(現在の刑法)」と「令(現在の民法)」によって国家運営を行う制度なので「律令制度」と呼ぶわけです。こういった規則というのは時代によって変わっていくのが一般的ですが、どうやら「律」と「令」は頻繁に改正するものではないらしく、その辺から考えると現在でいう所の「日本国憲法」に相当するのかなと思います。このため、時代に即した統治をおこなう為に作らるのが、「(現在の法令)」「(施行規則)」によって構成された「格式」になる訳です。こちらは何度か改正されている様なので、現在の「法律」に相当する物だと思います。

天平宝字元年(757年)に施行された「養老律令」の改訂版施工規則として作られたのが康保四年(967年)に施行された「延喜式」になります。延喜式は全五十巻からなっていて、一巻~十巻が神祇官について、十一巻~四十巻が太政官八省関係、四十一巻~四十九巻が宮司関係、五十巻が雑則となっています。このうち、九巻と十巻が冒頭にも述べている全国の神社が記載されている「神名帳」になります。

この事から、式内社とは、「日本の政府に認められた神社」であるという事ができるかと思います。

ちなみに、太政官八省の記述よりも朝廷の祭式を司る神祇官についての記述が先に来ている所を見ると、神祇官は太政官より上位であったことが分かります。

大和国添上郡式内社について

 延喜式神名帳には「大和国添上郡」の神社は三十七座(大社九座・小社二十八座)が記載されています。

  • 鳴雷神社(大)
    • 鳴雷神社(春日大社境内末社)
  • 率川坐大神神御子神社 三座(小)
    • 率川神社(大神神社境外摂社)
  • 狭岡神社 八座(小)
    • 狭岡神社(論社)
    • 漢国神社(論社)
  • 率川阿波神社(小)
    • 率川阿波神社(大神神社境外摂社)
  • 宇奈太理坐高御魂神社(大)
    • 宇奈多理坐高御魂神社
  • 和尓坐赤坂比古神社(大)
    • 和爾坐赤阪比古神社
  • 穴吹神社(小)
    • 穴栗神社
  • 和尓下神社 二座(小)
    • 上治道天王神社(論社)
    • 下治道天王神社(論社)
  • 奈良豆比古神社(小)
    • 奈良豆比古神社(論社)
    • 楢神社(論社)
  • 神波多神社(小)
    • 神波多神社
  • 高橋神社(小)
    • 高橋神社(論社)
    • 氷室神社(論社)
  • 太祝詞神社(大)
    • 森神社
  • 宅布世神社(小)
    • 宅布世神社
  • 大和日向神社(小)
    • 本宮神社(春日大社境内摂社)
  • 夜支布山口神社(大)
    • 夜支布山口神社
  • 春日神社(小)
    • 榎本神社(春日大社境内摂社)
  • 賣太神社(小)
    • 賣太神社
  • 春日祭神 四座(名神大)
    • 春日大社
  • 赤穂神社(小)
    • 赤穂神社
  • 島田神社(小)
    • 嶋田神社
  • 御前社原石立命神社(小):御前社原石立命神社
  • 天乃石吸神社(小)
    • 六所神社(論社)
  • 五百立神社(小)
    • 五百立神社
  • 天乃石立神社(小)
    • 天立石神社

添上郡に鎮座する式内社で一番その名が知られているのは何といっても中臣氏・藤原氏の氏神でもある「春日大社」になるかと思います。

参拝記

 奈良県道104号線の名もなき交差点(2025年4月現在、交差点角にセブンイレブン奈良法蓮町店が目印になります。)を北に住宅地の路地を進んでいくとまさに正面に狭岡神社の境内入口に据え荒れた鳥居が見えてきます。駐車場は用意されていないので、車で向かう際は駐車場を確保した上で徒歩で向かう事になるかと思います。

 平城宮の東側の丘陵にあって現在では移転の為廃校となってしまっている「奈良高校」の敷地の西隣?に鎮座しているのでこの学校跡も目印になるかなと思います。。この辺りは「佐保」地区と呼ばれる場所になって、古事記・日本書記に登場する伝説的な場所であり、奈良時代には聖武天皇の陵が作られ、戦国時代には松永久秀が居城した多門城が築城されるなど時代が移り変わっても歴史の舞台に登場している場所になります。明治時代には五大監獄のひとつに数えられている奈良監獄が作られ、当時の姿がほぼそのまま現存していますが、耐震性から廃庁となり、現在では2026年開業を目標に星野リゾートによるホテル化工事が行われています。

境内入口

 延喜式内社を示す「延喜式内」が合わせて彫られた社号標と、扁額が掲げらた石造明神鳥居、その奥に朱塗りで支え柱が設けられた明神鳥居が据えられた境内入口になります。境内の鬱蒼と茂った森と周辺の住宅地&学校跡の開放的な雰囲気の違いがくっきりと分かれていて、鳥居が境内に繋がる参道が森の中に続いているこの感じがたまりません。

 式内社の論社であることを示す社号標になります。

 支え柱が前後に対で設けられていたら両部鳥居と紹介するのですが、この片持ちスタイルの鳥居は何らかの名称が付けられているんでしょうかね。

手水舎

 朱塗の鳥居の奥に、木造銅板葺二本柱タイプの手水舎が設けられいます。給水口は水道の蛇口そのものなんですが常に水が出ているようで、しっかりと手水を行う事ができます。

社殿

 奈良地方の社殿建築は、愛知県・三重県とはまた異なる様式になっているみたいです。ここ狭岡神社の社殿は雰囲気的には愛知県の豊田市周辺で見られる神社様式に近いかな?とは思いますが、大きく異なる点が・・。それが

 社殿に相対するように設けられた拝殿になります。割拝殿のようにも見えますが、通り抜け出来るようにはなっておらず、社殿配置などを眺めていると祭式などの際には参列者の方々がこちらに並び座っているのかな?と思えてきます。となると、舞台風の拝殿と思っていた建物は祭事の際は幣殿なのかな?

 こうした建物の役割は月次祭や例祭などの祭事を拝見させて頂くとよくわかるのですが、こうして平時に訪れると想像で語るしかないので間違っている事もあるやもしれませんのでその際はご容赦を。

狛犬

 拝殿(幣殿?)と本殿の間の瑞垣内に据えられた狛犬一対です。全体的なフォルムは自分の主となる活動エリアとなる愛知・三重でよく見かける「岡崎型狛犬」とよく似ているんですが、太い眉と団子鼻、そして扇子状の尾が特徴のこの狛犬は浪速型狛犬と呼ばれている様で、その名前から想像できるように関西地方によく見られる狛犬なんだとか。

 本殿とその両脇に鎮座する境内社、そして本殿を囲む瑞垣などすべてが朱で統一されています。本殿は銅板葺の春日造となっています。御垣内に通じる部分には神門ではなく鳥居が設けられているのもこの地方独特の建築様式なのかな?。

狭穂姫伝説

 第十一代垂仁天皇の皇后である「狭穂姫」とその兄である「狭穂彦王」が垂仁天皇に対して反旗を翻して最終的に皇子を天皇に引き渡して二人は運命を共にしたという物語が古事記や日本書紀に記されています。この兄妹は母である沙本之大闇見戸売の出生地である「佐保」地区を本拠にしていたと思われ、現在でも狭穂姫の伝承が残っていたりします。ここ「狭岡神社」の境内には狭穂姫の姿を映したと伝えられる鏡池があります。

鏡池

 参道の途中に瑞垣で囲まれている狭穂姫伝承のひとつである鏡池があります。垂仁天皇の時代は奈良盆地の桜井市周辺を中心とする天皇を中心とする勢力と佐保周辺を本拠とする勢力が最初は衝突を避けるために婚姻関係を結んだが結局それがうまくいかず武力衝突によって佐保地区は天皇派に従属していき、この事が口伝で伝わっていく内にいつしか狭穂姫伝承となっていったのではないかと想像しています。実際に「狭穂姫」が実在したのか?といわれれば、正直な所・・・・って感じなんですが、こうした伝承が口伝として地元で伝わって記紀に記載されたという事実はなんらかの物語が起こっていた証左ではないでしょうか。

 さらに狭岡神社の境内にはまさに「狭穂姫伝承地」の石碑が据えられています。当サイトでは古事記や日本書紀を自分なりの現代文に翻訳?しながら更に出てきた所縁の場所を訪れて紹介しています。当該記事を読んで狭穂姫伝説に興味をもって頂いたら、ぜひとも奈良県を訪れてみてください。

佐保山周辺探訪

佐保山周辺陵墓

各被葬者の相関図

平城宮の東側、東大寺の北西に広がる佐保山周辺には聖武天皇と天皇と非常に係わりが深い方達の陵墓が点在しています。

天智天皇 ━ 阿部内親王 
       (元明天皇)  ┏ 元正天皇  
         ┣━━━┫ 
天智天皇 ━ 草壁皇子  ┗ 文武天皇
                ┣━━━ 聖武天皇  ┏ 安倍内親王
       藤原不比等 ┳ 藤原宮子     ┣━━┫ (考謙・称徳天皇)
             ┗━━━━━━ 光明皇后  ┗ 基皇子

四十三代 元明天皇
四十四代 元正天皇
四十五代 聖武天皇
     聖武天皇:光明皇后
     聖武天皇皇太子:基皇子
     聖武天皇生母:藤原宮子 

天武天皇から称徳天皇までの天皇は天武系天皇と呼ばれているのですが、跡継ぎとなる皇子が早逝するなどの要因から女性天皇が多く即位しています。称徳天皇は未婚のまま天皇に即位した事もあり跡継ぎがおらず天武系は断絶し、天智系である四十九代光仁天皇が即位しています。

狭穂姫伝説

 佐保山周辺には垂仁天皇の皇后であった「狭穂姫」に纏わる伝承地が伝わっています。古事記や日本書紀に「垂仁天皇の皇后であった狭穂姫は兄の狭穂彦王の謀叛を停める事が出来ず、稲城に籠った兄に殉じてしまった。」というめっちゃざっくり説明するとこんな感じの話が載っています。で、稲城があったであろう場所というのが狭穂彦王の本拠地だったと伝わる佐保山周辺になる訳です。

  • 狭岡神社:境内に「狭穂姫伝説」の碑があります。
  • 黒髪山稲荷神社:古事記で記されている「剃った髪を埋めた」場所という伝承があります。
  • 常陸神社:境内社に「佐保姫大神」の祠が鎮座しています。奈良で春を司る神とされていますが、狭穂姫との関係性も指摘されているんだとか。

地図で鎮座地を確認

神社名狭岡神社
鎮座地奈良県奈良市法蓮町六〇四番地
最寄駅鉄道:近鉄奈良線「新大宮駅」徒歩20分
バス:奈良交通「教育大付属中学校バス停」徒歩5分

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