
沙本毘売と沙本毘古王
垂仁天皇は「沙本毘売」を皇后としますが、皇后の兄である「沙本毘古王」は何やら不穏な動きをしているようです。皇統譜では沙元毘古王は第九代開化天皇の皇子である「日子坐王」の子であるとしており垂仁天皇とは従兄弟の関係となるので、現代の感覚ではまさに天皇側の有力豪族となるはずなのですが、まだ日本となる前・・・2000年以上前では何を以て「一族」としていたのかよく分からない訳ですが、今回紹介する伝承は垂仁天皇率いる勢力(ヤマト朝廷の本流?)と沙本毘古王率いる豪族との朝廷内における権力闘争が描かれているとも言われています。また、天皇家を巡っては「初代神武天皇から第九代開化天皇までの奈良県の葛城地区を中心としていた葛城王朝が第十代崇神天皇によって滅ぼされた。」という王朝交代説もあってこの説に則って考えると「沙本毘古王」は前王朝側の豪族であり衝突は逃れらない運命だったのかとも考えてしまいます。
古事記を読む
此天皇以沙本毘賣爲后之時 沙本毘賣命之兄沙本毘古王問其伊呂妹曰 孰愛夫與兄歟 答曰愛兄 爾沙本毘古王謀曰 汝寔思愛我者將吾與汝治天下 而 卽作八鹽折之紐小刀 授其妹曰 以此小刀刺殺天皇之寢
故天皇不知其之謀而 枕其后之御膝爲御寢坐也 爾其后以紐小刀爲刺其天皇之御頸 三度擧 而不忍哀情不能刺頸而 泣淚落溢於御面 乃天皇驚起 問其后曰 吾見異夢 從沙本方暴雨零來急沾吾面 又錦色小蛇纒繞我頸 如此之夢是有何表也 爾其后以爲不應爭 卽白天皇言 妾兄沙本毘古王問妾曰 孰愛夫與兄 是不勝面問故妾答曰愛兄歟 爾誂妾曰 吾與汝共治天下故當殺天皇云而 作八鹽折之紐小刀授妾 是以欲刺御頸 雖三度擧哀情忽起不得刺頸而 泣淚落沾於御面必有是表焉 爾天皇詔之吾殆見欺乎
乃興軍擊沙本毘古王之時 其王作稻城以待戰 此時沙本毘賣命不得忍其兄 自後門逃出而納其之稻城 此時其后妊身 於是天皇不忍其后懷妊及愛重至于三年 故廻其軍不急攻迫 如此逗留之間其所妊之御子既產 故出其御子置稻城外 令白天皇若此御子矣天皇之御子所思看者可治賜 於是天皇詔雖怨其兄猶不得忍愛其后 故卽有得后之心
是以選聚軍士中力士輕捷而宣者 取其御子之時乃掠取其母王 或髮或手當隨取獲而掬以控出 爾其后豫知其情 悉剃其髮以髮覆其頭 亦腐玉緖三重纒手 且以酒腐御衣如全衣服 如此設備而抱其御子刺出城外 爾其力士等取其御子卽握其御祖 爾握其御髮者御髮自落 握其御手者玉緖且絶 握其御衣者御衣便破 是以取獲其御子不得其御祖 故其軍士等還來奏言 御髮自落御衣易破亦所纒御手玉緖便絶 故不獲御祖取得御子 爾天皇悔恨而惡作玉人等皆奪其地 故諺曰不得地玉作也
亦天皇命詔其后言 凡子名必母名何稱是子之御名 爾答白 今當火燒稻城之時而火中所生故其御名宜稱本牟智和氣御子 又命詔 何爲日足奉 答白 取御母定大湯坐若湯坐宜日足奉 故隨其后白以日足奉也 又問其后曰 汝所堅之美豆能小佩者誰解「美豆能三字以音也」答白 旦波比古多多須美智宇斯王之女名兄比賣弟比賣 茲二女王淨公民故宜使也 然 遂殺其沙本比古王其伊呂妹亦從也
- 八塩折・・・くりかえし鍛造すること。
登場した人々
- 垂仁天皇
- 沙本毘売
- 記紀に登場 日本書記では狭穂姫と表記
- 九代開化天皇の皇子「彦坐王」の子 母は沙本之大闇見戸売
- 春を司る「佐保姫」との関連性を指摘されている。平城京の東側にある佐保地区(現在の奈良市法蓮町周辺)にある佐保山に宿る佐保姫を春の女神とするようになった。佐保山周辺における狭穂姫伝説と王宮の東側に春の神が宿るという五行説が融合したのだろうと思われます。ちなみに春の佐保姫、夏の筒姫、秋の竜田姫、冬の宇津田姫という四季を司る四女神がおり、それぞれが平城宮から東西南北に由来した名前だろうと思われます。
- 沙本毘古王
- 記紀に登場 日本書記では狭穂彦王と表記
- 九代開化天皇の皇子「彦坐王」の子 母は沙本之大闇見戸売
- 比古多多須美智宇斯王
- 記紀に登場 日本書紀では丹波道主王と表記
- 第九代開化天皇の孫、彦坐王の子であり沙本毘売とは異母兄弟の関係
- 日本書紀では崇神天皇の御代に各地に派遣された「四道将軍」の一人とする
- 本牟智和気御子
- 記紀に登場 日本書紀では誉津別命と表記
- 垂仁天皇の第一皇子
- 兄比売
- 記紀で登場 日本書紀では日葉酢媛命と表記
- 垂仁天皇十五年に皇后として後宮に入る。
- 子に五十瓊敷入彦命、大足彦尊、大中姫命、倭姫命、稚城瓊入彦命
- 弟比売
- 日本書記では登場せず
まとめ
日本書紀の垂仁天皇の段にもほぼ同様の記述が載っています。古事記には起きた年は書かれていませんが、日本書紀には垂仁天皇四年九月から五年十月過ぎに起きたヤマト朝廷内で起きた内乱劇を描いているとされています。日本書紀に比べて古事記の方が色々詳細に描かれているのが特徴で、沙本毘売が捕まらない様にする為に色々細工をする場面が描かれている事が現在の法蓮地区などに残る狭穂姫伝説に繋がっていると思われます。

当サイトでは、古事記の現代語訳を行うにあたって、「新潮日本古典集成 古事記 西宮一民校注」を非常に参考させて頂いています。原文は載っていないのですが、歴史的仮名遣いに翻訳されている訳文とさらに色々な注釈が載っていて、古事記を読み進めるにあたって非常に参考になる一冊だと思います。