古事記を読む

垂仁天皇|沙本毘売と沙本毘古王

2025年4月20日

沙本毘売と沙本毘古王

 垂仁天皇は「沙本毘売」を皇后としますが、皇后の兄である「沙本毘古王」は何やら不穏な動きをしているようです。皇統譜では沙元毘古王は第九代開化天皇の皇子である「日子坐王」の子であるとしており垂仁天皇とは従兄弟の関係となるので、現代の感覚ではまさに天皇側の有力豪族となるはずなのですが、まだ日本となる前・・・2000年以上前では何を以て「一族」としていたのかよく分からない訳ですが、今回紹介する伝承は垂仁天皇率いる勢力(ヤマト朝廷の本流?)と沙本毘古王率いる豪族との朝廷内における権力闘争が描かれているとも言われています。また、天皇家を巡っては「初代神武天皇から第九代開化天皇までの奈良県の葛城地区を中心としていた葛城王朝が第十代崇神天皇によって滅ぼされた。」という王朝交代説もあってこの説に則って考えると「沙本毘古王」は前王朝側の豪族であり衝突は逃れらない運命だったのかとも考えてしまいます。

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古事記を読む

此天皇以沙本毘賣爲后之時 沙本毘賣命之兄沙本毘古王問其伊呂妹曰 孰愛夫與兄歟 答曰愛兄 爾沙本毘古王謀曰 汝寔思愛我者將吾與汝治天下 而 卽作八鹽折之紐小刀 授其妹曰 以此小刀刺殺天皇之寢
故天皇不知其之謀而 枕其后之御膝爲御寢坐也 爾其后以紐小刀爲刺其天皇之御頸 三度擧 而不忍哀情不能刺頸而 泣淚落溢於御面 乃天皇驚起 問其后曰 吾見異夢 從沙本方暴雨零來急沾吾面 又錦色小蛇纒繞我頸 如此之夢是有何表也 爾其后以爲不應爭 卽白天皇言 妾兄沙本毘古王問妾曰 孰愛夫與兄 是不勝面問故妾答曰愛兄歟 爾誂妾曰 吾與汝共治天下故當殺天皇云而 作八鹽折之紐小刀授妾 是以欲刺御頸 雖三度擧哀情忽起不得刺頸而 泣淚落沾於御面必有是表焉 爾天皇詔之吾殆見欺乎
乃興軍擊沙本毘古王之時 其王作稻城以待戰 此時沙本毘賣命不得忍其兄 自後門逃出而納其之稻城 此時其后妊身 於是天皇不忍其后懷妊及愛重至于三年 故廻其軍不急攻迫 如此逗留之間其所妊之御子既產 故出其御子置稻城外 令白天皇若此御子矣天皇之御子所思看者可治賜 於是天皇詔雖怨其兄猶不得忍愛其后 故卽有得后之心
是以選聚軍士中力士輕捷而宣者 取其御子之時乃掠取其母王 或髮或手當隨取獲而掬以控出 爾其后豫知其情 悉剃其髮以髮覆其頭 亦腐玉緖三重纒手 且以酒腐御衣如全衣服 如此設備而抱其御子刺出城外 爾其力士等取其御子卽握其御祖 爾握其御髮者御髮自落 握其御手者玉緖且絶 握其御衣者御衣便破 是以取獲其御子不得其御祖 故其軍士等還來奏言 御髮自落御衣易破亦所纒御手玉緖便絶 故不獲御祖取得御子 爾天皇悔恨而惡作玉人等皆奪其地 故諺曰不得地玉作也
亦天皇命詔其后言 凡子名必母名何稱是子之御名 爾答白 今當火燒稻城之時而火中所生故其御名宜稱本牟智和氣御子 又命詔 何爲日足奉 答白 取御母定大湯坐若湯坐宜日足奉 故隨其后白以日足奉也 又問其后曰 汝所堅之美豆能小佩者誰解「美豆能三字以音也」答白 旦波比古多多須美智宇斯王之女名兄比賣弟比賣 茲二女王淨公民故宜使也 然 遂殺其沙本比古王其伊呂妹亦從也

  • 八塩折・・・くりかえし鍛造すること。

現代語訳

垂仁天皇が沙本毘売さほひめを皇后とした時、皇后の兄である沙本毘古王は「夫である天皇と私とどちらを愛すのか。」と妹に問うた。「兄を愛します。」と妹が答えると沙本毘古王は「本当に私を愛すというのならば私とお前とで天下を治めよう。」と自分の胸中に会った野望を語り、八塩折の小刀を妹に授け「この小刀で寝ている天皇を刺し殺せ。」と言った。
垂仁天皇はそんな兄妹の謀を知らぬまま、皇后の膝枕で寝ていた。皇后は兄から授けられたで天皇の御頸を刺そうと三度小刀を振り上げたが天皇の事を考えると頸を刺す事が出来ず、涙が溢れ、天皇の御面にこぼれ落ちた。すると天皇が目を覚まし皇后に「今なにやら不吉な夢を見た。沙本の方から俄雨が降り始め、あっという間に我が顔を濡らした。そして小さな錦蛇が私の頸に纏わりついたのだ。この夢はどんな意味があるのだろうか。」と尋ねた。これを聞いた皇后はもう言い逃れはできないと察し「私は兄である沙本毘古王から「夫と兄のどちらを愛する?」と問われ、あまりにも険しい顔で問われたので「兄を愛します。」と答えてしまいました。そして八塩折の小刀を私に渡して「私とお前の天下を手に入れる為に(この小刀を使って)天皇を殺せ、」と命じてきました。私は今この小刀を使って御頸を刺そうと三度振り上げたのですが君をお慕いする心から御頸を刺す事ができず、溢れた涙がこぼれ落ちて君の御面を濡らしました。君が見た夢はこの表れに違いないと思います。」と申し上げた。天皇は「私はまさに騙されるところだった。」と仰せられた。
天皇はすぐさま軍を興し、沙本毘古王を攻め立てた。沙本毘古王は稲城を作り立て籠り、天皇の軍勢を待ち構えた。沙本毘売命は兄を見捨てる事が出来ず、後門から逃げ出して稲城に入った。この時、皇后は身籠っていた。天皇は皇后が懐妊し、皇后となって三年間愛を育んだ事を思い、軍勢で稲城を取り囲みながら攻め込むことを躊躇していた。こうしている間に皇后は皇子をお産みになられた。そしてその皇子をつれ外から見える稲城の上に立ち、「もしこの御子が君の皇子であるとお認めになられるのでしたら、どうか連れて行ってください。」と申し上げ、君は「そなたの兄は怨むが、そなたを今なお愛している。」の仰せになり、皇后の希望を受け入れる事にした。
精鋭を集め、その中から腕力や脚力に秀でた者を選抜し、その者達に天皇は「皇子を受け取る時に、皇子だけでなく母も捕らえよ。この時髪でも手でもよいので、手に触れ次第掴み稲城より引っ張り出せ。」と命じた。しかし皇后は天皇の意図を予想し、髪を剃り、その髪で頭を覆い、朽ち果てた玉の緒を三重に手に巻き、更に酒で腐らせた御衣を着こんだ。この様に準備をし、皇后は皇子を稲城の外に差し出した時、腕力に秀でた者達が皇子を受け取り、それと同時に皇后を捕まえようとした。しかし、御髪を掴めば髪が抜け落ち、手首を捕まえれば珠緒が千切れ、御衣を掴めば悉く破れてしまい、皇后を捕まえる事が出来なかった。戻ってきた兵達は「皇后様を何とかして捕らえようとしましたが捕まえた御髪は自然に抜け落ち、捕まえた御衣は容易く破れ、更に手を掴めば御手に装着した玉緖は容易千切れてしまい、その結果皇后さまを捕まえる事が出来ませんでしたが、御子を無事にお連れすることは出来ました。」と上奏した。天皇はその話を聞いて悔い恨み、玉を作った人々はその住まいを追われてしまった。この事から「所を得ぬ玉つくり」という諺ができた。
天皇は皇后に伝言を送り、「御子の名付けは母親が行うものである。この子の名を何とするのか?」と問うと「今まさに稲城を焼きはらおうとしている時、火中で生まれた子ですので本牟智和気御子ほむちわけのみことと名付けます。」と答え、「養育の為には何を望む。」と更に問うと「乳母を取り大湯坐・若湯坐を定め、養育をされる事を望みます。」との答えがきたので、天皇はその通りに養育を行った。また「堅く締めた端の小帯は誰が解くというのだ。」と問うと「丹波にいる比古多多須美智宇斯王ひこたたすみちのうしのみこの娘で名は兄比売、弟比売という二人の女性がおり、この二人は清らかな民ですので、どうか仕えさせてください。」そして、沙本毘古王を殺し妹も亡くなってしまった。

登場した人々

  • 垂仁天皇
  • 沙本毘売
    • 記紀に登場 日本書記では狭穂姫と表記
    • 九代開化天皇の皇子「彦坐王」の子 母は沙本之大闇見戸売
    • 春を司る「佐保姫」との関連性を指摘されている。平城京の東側にある佐保地区(現在の奈良市法蓮町周辺)にある佐保山に宿る佐保姫を春の女神とするようになった。佐保山周辺における狭穂姫伝説と王宮の東側に春の神が宿るという五行説が融合したのだろうと思われます。ちなみに春の佐保姫、夏の筒姫、秋の竜田姫、冬の宇津田姫という四季を司る四女神がおり、それぞれが平城宮から東西南北に由来した名前だろうと思われます。
  • 沙本毘古王
    • 記紀に登場 日本書記では狭穂彦王と表記
    • 九代開化天皇の皇子「彦坐王」の子 母は沙本之大闇見戸売
  • 比古多多須美智宇斯王
    • 記紀に登場 日本書紀では丹波道主王と表記
    • 第九代開化天皇の孫、彦坐王の子であり沙本毘売とは異母兄弟の関係
    • 日本書紀では崇神天皇の御代に各地に派遣された「四道将軍」の一人とする
  • 本牟智和気御子
    • 記紀に登場 日本書紀では誉津別命と表記
    • 垂仁天皇の第一皇子
  • 兄比売
    • 記紀で登場 日本書紀では日葉酢媛命と表記
    • 垂仁天皇十五年に皇后として後宮に入る。
    • 子に五十瓊敷入彦命、大足彦尊、大中姫命、倭姫命、稚城瓊入彦命
  • 弟比売
    • 日本書記では登場せず

まとめ

 日本書紀の垂仁天皇の段にもほぼ同様の記述が載っています。古事記には起きた年は書かれていませんが、日本書紀には垂仁天皇四年九月から五年十月過ぎに起きたヤマト朝廷内で起きた内乱劇を描いているとされています。日本書紀に比べて古事記の方が色々詳細に描かれているのが特徴で、沙本毘売が捕まらない様にする為に色々細工をする場面が描かれている事が現在の法蓮地区などに残る狭穂姫伝説に繋がっていると思われます。

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 当サイトでは、古事記の現代語訳を行うにあたって、「新潮日本古典集成 古事記 西宮一民校注」を非常に参考させて頂いています。原文は載っていないのですが、歴史的仮名遣いに翻訳されている訳文とさらに色々な注釈が載っていて、古事記を読み進めるにあたって非常に参考になる一冊だと思います。

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