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奈良豆比古神社(奈良市奈良阪町)延喜式内社

2025年5月17日

神社情報

神社名奈良豆比古神社
鎮座地奈良県奈良市奈良阪町二四八九番地(Googlemap
御祭神平城津比古大神
春日宮天皇
春日王
創 建伝承:宝亀二年(771年)
社格等村社
神名帳延喜式神名帳 大和国添上郡 奈良豆比古神社
文化財重要文化財:木造能面癋見:応永二十年二月千草左衛門大夫作
重用無形民俗文化財:奈良豆比古神社の翁舞
樟の巨木(奈良県天然記念物)
例大祭十月九日
境内社弁財天
毘沙門天王
恵比須
石瓶神
福の神
URL
御朱印
参拝日:2025-04-05

御由緒

式内社調査報告によると、”創祀年代は不詳”とし、享保二十年(1735年)の「奈良坊目拙解」には奈良阪町の浄土宗知恩院派の西福寺の境内にあり、奈良坂春日社と俗称されていた奈良神社三坐をもって延喜式神名帳の「大和添上郡奈良豆比古神社、即是也」とし、当時「若宮神殿、左坐北方之方、春日稚宮也。大宮神殿 中座、春日四之御殿也。奈良神殿 右坐南之方、矢幡大神・田原天皇也。以上本社三殿」と記しているとしています。

 また式内社調査報告では「奈良神社縁起」の由緒も紹介していますが、史実とは考えられぬものも含まれているとしながら紹介しています。「宝亀二年(771年)正月二十日、光仁天皇の父「施基親王」を奈良山春日離宮に祭ったが、奈良津彦神は施基親王の事であり、後に田原天皇と号し奉った。同十一年(790年)十一月二十一日に田原天皇の第二皇子である春日王が春日大社の第四殿の姫大神を勧請し大宮と称するに至った。保延二年(1136年)十一月二十二日、春日若宮を北方の左坐に遷座し、奈良坂春日神社三社と号した。春日王には弓削浄人・秋王の兄弟がおり、春日王以来当地に住んだ。」と記していますが、春日王は天平十七年(745年)四月に歿しおり、弓削浄人は道鏡の弟として宝亀八年に子息と共に土佐国に配流されているなど何らかの伝承と由緒をむりやり繋げた感じがしてきます。

三代格式」の中で唯一完全な状態で現存している「延喜式」の巻九・巻十は全国に鎮座する当時繁栄していたとされる神社を記載したという「神名帳」になっています。通称「延喜式神名帳」に記載されている神社を「式内社」と呼ぶのですが、今回紹介する「奈良豆比古神社」は延喜式内社となっています。

延喜式内社とは?

平安時代中期頃まで日本は「律令制度」によって国家運営が行われていました。

そもそも、この律令制度とはなんぞや?

飛鳥時代から平安時代中期頃まで日本の統治体制になります。「律(現在の刑法)」と「令(現在の民法)」によって国家運営を行う制度なので「律令制度」と呼ぶわけです。こういった規則というのは時代によって変わっていくのが一般的ですが、どうやら「律」と「令」は頻繁に改正するものではないらしく、その辺から考えると現在でいう所の「日本国憲法」に相当するのかなと思います。このため、時代に即した統治をおこなう為に作らるのが、「(現在の法令)」「(施行規則)」によって構成された「格式」になる訳です。こちらは何度か改正されている様なので、現在の「法律」に相当する物だと思います。

天平宝字元年(757年)に施行された「養老律令」の改訂版施工規則として作られたのが康保四年(967年)に施行された「延喜式」になります。延喜式は全五十巻からなっていて、一巻~十巻が神祇官について、十一巻~四十巻が太政官八省関係、四十一巻~四十九巻が宮司関係、五十巻が雑則となっています。このうち、九巻と十巻が冒頭にも述べている全国の神社が記載されている「神名帳」になります。

この事から、式内社とは、「日本の政府に認められた神社」であるという事ができるかと思います。

ちなみに、太政官八省の記述よりも朝廷の祭式を司る神祇官についての記述が先に来ている所を見ると、神祇官は太政官より上位であったことが分かります。

御祭神

  • 平城津比古大神(中央)
  • 春日宮天皇(左坐)
  • 春日王(右坐)

 平城津比古大神は「奈良津彦大神」とも表記され、上記の由緒では春日宮天皇こと施基親王の別号であると記している事から同一視されている神が二坐祀られている事になるのですが、現在では平城津比古大神は奈良坂の地元の神であるとしている様です。

施基(志貴)皇子とは

天智天皇と越道君伊羅都売との間に生まれた第七皇子。称徳天皇を継ぐ男系皇族が極端に少なかった天武天皇の血脈からではなく、天智天皇の血脈でありながら聖武天皇の皇女である井上内親王を皇后としていた白壁王が即位(第四十九代光仁天皇)すると「春日宮御宇天皇」の追尊を受ける。
叙位や要職への任官記録がない事から皇統が天武天皇系に移った事により天智天皇の皇子であった事から皇位継承から離れ、詠んだ和歌が残っている事から文化の道に進んだ人物であったと考えられる。

        紀橡姫
         ┃ ┏ 難波内親王
         ┣━┫
天智天皇     ┃ ┗ 白壁王(光仁天皇)
  ┣━━━ 施基皇子(志貴皇子)
越道君伊羅都売  ┃ ┏ 春日王
         ┣━┫
天武天皇     ┃ ┗ 湯原王
  ┣━━━ 託基皇女
宍人カジ媛娘

陵墓は奈良県奈良市矢田原町にある「春日宮天皇田原西陵」になります。元々は奈良山春日離宮があったとされる場所であり元明天皇も行幸された事がある場所になるようです。また田原西陵の近くには春日宮神社が鎮座しており、こちらの御祭神は春日宮天皇となっています。

光仁天皇宝亀二年(771)正月二十日、施基(志貴に同じ)皇子を奈良山春日離宮に祀る。のちに田原天皇とおくり名をたてまつる。』志貴皇子は万葉歌人としても名高く、天智天皇の子であり光仁天皇の父である。天武系で占められた奈良期末期、称徳女帝に子がないところから、天智計の光仁が即位、父志貴も大きくよみがえった。『田原天皇』とも呼ばれるが、『春日宮天皇』として、その陵は、高円山裏の『矢田原』にある。奈良豆比古神社が古くから『奈良坂春日社』と称された由縁であり、いわゆる『春日大社』とは全く異なるものであるの説もある。


「由緒書」より

参拝記

 旧大和街道と奈良街道の追分となってる所に鎮座しているのが今回紹介している「奈良豆比古神社」になります。街道の追分など通行する人々が多かった場所に設置されていた高札場が神社の一角に設けられていた様で、現在その高札場が再現されています。

 奈良坂は京と奈良を結ぶ街道沿いで、尚且つ奈良の古都に近い訳ですから人口も多かったと思うので、どうやら村内の何ヶ所かに同じような高札場が設けられていた様です。

境内入口

 石灯籠一対、狛犬一対、扁額が掲げられた石造明神鳥居、幟立石が据えられている境内入口になります。参拝した日はまさに桜が満開のハルウララは日で桜のピンクと木々の緑のコントラストが色鮮やかでした。

 明らかに岡崎型狛犬とはシルエットが異なる狛犬一対です。これは・・・浪花型でいいのかな?

手水舎

木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。瓦葺なんですが比較的屋根が小ぶりに作られている為か頭でっかちな不安定さを全く感じさせないスタイルになっているかと思います。

二の鳥居

 扁額の無い石造明神鳥居とまさに浪花型狛犬の典型的なお姿をしている狛犬一対になります。あまり参拝している時は気にしてなかったのですが、割拝殿までの間にいろんな形の灯籠が対で並んでいたんですね。

 団子鼻に垂れ耳、そして人間の様な歯並びが特徴的な浪花型狛犬なんですが、確かに自分が住んでいる地域でよく見かける岡崎型とは異なる姿をしているんだなと狛犬に見慣れてきたのかそういった違いも何となく分かる様になってきました。

社殿

 形状的には割拝殿の様な気もするんですが、その奥に舞台風の開放型拝殿があるので違う様な気もするし、開口部上部に注連縄が掲げられている所からもしかして神門が変化した物なのか?となんと表現していいのかよく分からない建物を有する社殿になります。

 まだ数社しか奈良県内の神社を参拝していないので何とも言えないのですが、上記写真の様な社殿配置が奈良市周辺の神社の標準なのかな?と思っているんですがどうでしょうか。

 特に印象的なのは朱で統一された本殿とそれを囲む瑞垣の構成でしょうか。

 東海地方からやってきた自分にとって非常に印象的なアングルなんですが、愛知や三重では本殿を囲む瑞垣には神門が薬医門などの神門が設けられているのですが、奈良にきて最初に目を惹いたのは神門の代わりに鳥居が据えられている点だったりします。この様式って自分が参拝してきた東海地方の神社では見た事が無いのでこの造りは本当に新鮮です。

 鳥居に通じる石段の脇に置かれた小ぶりな狛犬一対になります。非常にかわいらしい狛犬です。

境内社

 二の鳥居の脇には境内社が鎮座しています。弁財天・毘沙門天王・恵比須・石瓶神・福の神と何となく神仏習合時代を想像させる境内社が多い感じがします。

刻字之碑(函石)

奈保山東陵が元明天皇の陵であると治定される切っ掛けとなったのが江戸時代に陵墓周辺の土中から発見された「函石」とよばれる方形の石になります。この函石に掘られた銘文から東大寺要録に記載されていた「刻字之碑」であると判断されて、発見した場所周辺が陵であると治定されています。で、発掘された函石が奈良豆比古神社に運び込まれて境内に安置され、その時に取られたのか函石の拓本があるようです。函石は陵墓の修繕に合わせて陵に戻されて、現在も風化対策を行いながら陵の一角に元明天皇の遺言に従って据えられています。

天然記念物 樟の巨樹

 社殿の脇から裏手にまわると天然記念物に指定されている「樟の巨樹」が圧倒的な存在感で静かに悠久の時を刻んでいます。御祭神となった施基皇子ももしかしたらまだまだ若木だった時代にこの樟を見ているのかもしれませんね。

地図で鎮座地を確認

神社名奈良豆比古神社
鎮座地奈良県奈良市奈良阪町二四八九番地(Googlemap)
最寄駅鉄 道:
バ ス:

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