御陵

聖武天皇皇太子:那富山墓

御陵情報

御陵名那富山墓
被葬者伝:基皇子
古墳名那富山墓
所在地奈良県奈良市法蓮佐保山三丁目地内(Googlemap
陵 形
規 模
築造期
御陵印

基皇子とは?

聖武天皇と光明皇后の間に神亀四年(727年)九月二十九日に生まれた第一皇子になります。生後わずか32日という異例な若さで皇太子に建てられています。しかし、翌神亀五年(728年)九月十三日に夭折した。

参拝記

 2006年に閉園した奈良ドリームランドの正面側入口だったであろう場所に沿うような感じで那富山墓へ通じる一見歩道の様な道が続いています。その脇には那富山墓と彫られた石柱が据えられており、この先に宮内庁管轄の陵墓がある事を示しています。

 道標の様な石柱なので車で向かう際は思いっきり見落としてしまいそうな感じです。車だと周辺に駐車場がないので注意が必要です。

 陵墓は柵で立ち入り禁止となっていて、写真を撮影した場所から先には進めなくなっています。隼人石と呼ばれている石造物の盗難防止の為なのかどうかは不明ですが、もしそうだとしたら、心無い人は柵を乗り越えていくと思うので博物館などで保管した方がいいと思うのですが。

 瑞垣前に据えられている石柱には「聖武天皇皇太子」と書かれているだけで、皇太子の名前は記されていません。基皇子であると伝えられているのですが、そもそも「基」という名が付けられていたのか不明っぽいです。

佐保山周辺探訪

佐保山周辺陵墓

各被葬者の相関図

平城宮の東側、東大寺の北西に広がる佐保山周辺には聖武天皇と天皇と非常に係わりが深い方達の陵墓が点在しています。

天智天皇 ━ 阿部内親王 
       (元明天皇)  ┏ 元正天皇  
         ┣━━━┫ 
天智天皇 ━ 草壁皇子  ┗ 文武天皇
                ┣━━━ 聖武天皇  ┏ 安倍内親王
       藤原不比等 ┳ 藤原宮子     ┣━━┫ (考謙・称徳天皇)
             ┗━━━━━━ 光明皇后  ┗ 基皇子

四十三代 元明天皇
四十四代 元正天皇
四十五代 聖武天皇
     聖武天皇:光明皇后
     聖武天皇皇太子:基皇子
     聖武天皇生母:藤原宮子 

天武天皇から称徳天皇までの天皇は天武系天皇と呼ばれているのですが、跡継ぎとなる皇子が早逝するなどの要因から女性天皇が多く即位しています。称徳天皇は未婚のまま天皇に即位した事もあり跡継ぎがおらず天武系は断絶し、天智系である四十九代光仁天皇が即位しています。

狭穂姫伝説

 佐保山周辺には垂仁天皇の皇后であった「狭穂姫」に纏わる伝承地が伝わっています。古事記や日本書紀に「垂仁天皇の皇后であった狭穂姫は兄の狭穂彦王の謀叛を停める事が出来ず、稲城に籠った兄に殉じてしまった。」というめっちゃざっくり説明するとこんな感じの話が載っています。で、稲城があったであろう場所というのが狭穂彦王の本拠地だったと伝わる佐保山周辺になる訳です。

  • 狭岡神社:境内に「狭穂姫伝説」の碑があります。
  • 黒髪山稲荷神社:古事記で記されている「剃った髪を埋めた」場所という伝承があります。
  • 常陸神社:境内社に「佐保姫大神」の祠が鎮座しています。奈良で春を司る神とされていますが、狭穂姫との関係性も指摘されているんだとか。

御陵を地図で確認

陵墓名那富山墓
所在地奈良県奈良市法蓮佐保山三丁目地内(Googlemap
最寄駅鉄 道:
バ ス:奈良交通「法蓮佐保山三丁目バス停」徒歩3分

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