神社情報
神社名 | 黒髪山稲荷神社 |
鎮座地 | 奈良県奈良市奈良阪町大黒平地内 |
御祭神 | 保食神 |
創 建 | 不詳 |
社格等 | 奈良豆比古神社境外末社 |
神名帳 | 不詳 |
文化財 | 不詳 |
例大祭 | 二月上の午の日 |

御由緒
古事記や日本書紀の垂仁天皇の段にて描かれている狭穂姫/沙本毘売とその兄である沙穂彦王/沙本毘古王の物語。この物語をざっくりと説明すると、「狭穂彦王は皇后である狭穂姫を使って垂仁天皇の暗殺を企てますが、天皇を思う狭穂姫は天皇を裏切る事が出来ず、告白により狭穂彦王の謀叛が天皇に露見してしまいます。天皇は皇后に罪はないとしますが、兄を見捨てる事が狭穂姫は兄が立てこもる稲城に入り、兄と共に命と絶ってしまう。」っていう感じの内容になります。日本書記と古事記では大まかな流れは同一ながら細かい描写に差異があって、古事記の方が狭穂姫の動向が細かく描かれていて、「稲城の中で生まれた皇子を天皇に引き渡す際、自分を捕えようとするだろうと見抜いた皇后は黒髪を剃り、古びた衣装を纏い、手に劣化した数珠を巻いて稲城の外に出た。」となっています。この立て籠っていた稲城があった場所というのが奈良市の北部に広がる丘陵地域にある「佐保地区」ではないかと考えられているようです。で、この佐保地区では「皇子を渡した後に兵から逃れるために黒髪を切って山に埋め、古い衣を纏った。」という伝承が残っていて、その場所は「黒髪を埋めた山」という伝承から「黒髪山」という地名が生まれ、いつの頃からか不明ながらも狭穂姫と狭穂彦王が籠城?したのが「稲城」という名前から保食神が祀られてきたといいます。
参拝記
今回紹介する「黒髪山稲荷神社」は2006年に閉園した奈良ドリームランドの跡地のすぐ近くに鎮座しています。この奈良ドリームランドの跡地は元々は日本軍の基地があった場所らしく戦後米軍に約10年程接収されていた経緯があるようです。この基地建設に際して大規模な造営工事が行われたのは想像に難くないわけですが、色々調べているとこの基地造営工事が行われる前には聖武天皇の生母である藤原宮子の墳墓であると伝わる佐保山西陵があったみたいです。この佐保山西陵は大黒芝とよばれる史跡でもあったようです。
境内入口
扁額の掲げられた石造明神鳥居の奥に朱に塗られた鳥居が続いていて、ここアングルを見ただけで稲荷神社だなってわかるのもある意味すごいなと思います。鳥居には黒髪山神社と社号も彫られていますね。
社殿
鞘堂の中に朱塗りの本殿が鎮座しています。鞘堂前面に一対の花瓶が置かれているなど、何となく仏教の香りもしてきますね。まあ、江戸時代までの神社ってこんな雰囲気だった気がします。
稲荷神社の境内には数多くの神々の名前が刻まれた石柱が据えられています。これはなんらか特定の神道系宗教が絡んでいるのか、あくまでも氏子の人々が個人的に崇敬する神々の名前を刻んだ石柱を奉納しているのかまったく真相は分からないのですが、愛知県を巡っている時によく出会った御嶽教の神社や遥拝所によく似た雰囲気を感じられます。
白瀧講とほられた祭壇も設けられています。神々の名前をみていると正直な所聞いた事のない神名が多いのが特徴でしょうか。自然崇拝の教科神道関連の施設だとは思うのですが・・・。
佐保山西陵(史跡:大黒芝)
聖蹟圖志(著:津久井清影)に記されている仝南都奈保山佐保山諸陵 附楊梅陵平城坂上墓の絵地図になります。奈良市の平城京跡の北側に広がる丘陵地域に点在する陵などが記載された地図になります。この地図の中で右端部分周辺が今回紹介している佐保地区になっているのですが、この辺りは聖武天皇陵を中心に数多くの陵、墳墓が存在してるようです。
佐保地区を拡大してみました。
何といっても目立つのが中心にある「聖武帝佐保山南陵」と「光明后佐保山東陵」になります。聖武天皇陵の西側にある那富山墓とは聖武天皇の第一皇子である基王の墓であると伝えられています。現在この那富山墓の墳丘上に「隼人石」と呼ばれる獣頭人身が彫られた石造物が四石据えられているそうです。ちなみに、この隼人石なんですが少なくとも江戸時代から移動した事がないとされていて、この事を踏まえて地図をみると、那富山墓の北西になにやらそれらしい場所が描かれているのに気が付きます。この場所が、聖武天皇の生母である藤原宮子の墳墓になります。Googlemapと絵地図を見比べても、佐保山南陵と那富山墓が現状では離れすぎていると感じるのですが・・。まぁ、天皇陵の治定についてはかなり異論がある様なので、現在でも治定されていない佐保山西陵はもしかしたら・・・・那富山墓とされている墳墓が実は佐保山西陵って事もあるやもしれません。
那富山墓の南西側に「淡海公」と書かれていますがこれは中臣鎌足の子「藤原不比等」の事で、佐保山椎岡にて荼毘に付されたとされ、そのままその地が霊廟となったとも。ちなみに、大皇后とされる藤原宮子は藤原不比等の娘であり、不比等は聖武天皇の外祖父になります。
現在の藤原宮子宮墓
黒髪山稲荷神社の境内に接するように石造物が並んでいる場所があり、ここにある鉄製の立て看板に、
「史蹟 大黒芝 佐保山西陵 七ツ石 聖武天皇生母藤原宮子后宮墓」と記されています。現状でこの看板のみが藤原宮子大皇后の墓所を表記しています。
七ツ石や藤原宮子墳墓などで検索すると神々が刻まれた石や小さな祠の間にある何やら変わった形をした石が七ツ石だと紹介されています。あと審議が不明ながら奈良ドリームランドがあった場所を造営した時に墳墓が壊されてしまいそこから出土した石をこちらに移設したという情報もあったりします。
佐保山周辺探訪
佐保山周辺陵墓
各被葬者の相関図
平城宮の東側、東大寺の北西に広がる佐保山周辺には聖武天皇と天皇と非常に係わりが深い方達の陵墓が点在しています。
天智天皇 ━ 阿部内親王
(元明天皇) ┏ 元正天皇
┣━━━┫
天智天皇 ━ 草壁皇子 ┗ 文武天皇
┣━━━ 聖武天皇 ┏ 安倍内親王
藤原不比等 ┳ 藤原宮子 ┣━━┫ (考謙・称徳天皇)
┗━━━━━━ 光明皇后 ┗ 基皇子
四十三代 元明天皇
四十四代 元正天皇
四十五代 聖武天皇
聖武天皇:光明皇后
聖武天皇皇太子:基皇子
聖武天皇生母:藤原宮子
天武天皇から称徳天皇までの天皇は天武系天皇と呼ばれているのですが、跡継ぎとなる皇子が早逝するなどの要因から女性天皇が多く即位しています。称徳天皇は未婚のまま天皇に即位した事もあり跡継ぎがおらず天武系は断絶し、天智系である四十九代光仁天皇が即位しています。
狭穂姫伝説
佐保山周辺には垂仁天皇の皇后であった「狭穂姫」に纏わる伝承地が伝わっています。古事記や日本書紀に「垂仁天皇の皇后であった狭穂姫は兄の狭穂彦王の謀叛を停める事が出来ず、稲城に籠った兄に殉じてしまった。」というめっちゃざっくり説明するとこんな感じの話が載っています。で、稲城があったであろう場所というのが狭穂彦王の本拠地だったと伝わる佐保山周辺になる訳です。
- 狭岡神社:境内に「狭穂姫伝説」の碑があります。
- 黒髪山稲荷神社:古事記で記されている「剃った髪を埋めた」場所という伝承があります。
- 常陸神社:境内社に「佐保姫大神」の祠が鎮座しています。奈良で春を司る神とされていますが、狭穂姫との関係性も指摘されているんだとか。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 黒髪山稲荷神社 |
鎮座地 | 奈良県奈良市奈良阪町大黒平地内 |
最寄駅 | |
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