古事記を読む

伊邪那岐・伊邪那美|伊邪那美の死

伊邪那美の死

 国造りを終え、次々を神生みを行っていた伊邪那岐・伊邪那美ですが火の神である「火之加具土命」の生んだ時、その火之加具土命の持つ火の力により伊邪那美の陰部が焼かれてしまい、この傷が元となり伊邪那美は亡くなってしまいます。

古事記を読む

故爾伊邪那岐命詔之「愛我那邇妹命乎那邇二字以音、下效此」謂「易子之一木乎」乃匍匐御枕方、匍匐御足方而哭時、於御淚所成神、坐香山之畝尾木本、名泣澤女神。故、其所神避之伊邪那美神者、葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也。

  • 香山の畝尾の木本とは奈良県柏原市木之本町あたりとされ、当地には畝尾都多本神社(御祭神:泣沢女神)が鎮座する。

現代語訳

そして伊邪那岐命は、

「いとしい私の妻の命よ。あなたを子ども(火之加具土命)と生死を代えようとは思わなかった。」

と仰せになり、伊邪那美命の遺骸の周りを這いまわりお泣きになった時、その涙から御成りになられた神は、香山の畝部尾の木本の坐し、その名を泣沢女神という。

 そして、お亡くなりになった伊邪那美神は出雲国と伯伎国との境にある比婆の山に葬った。

まとめ

 伊邪那美命が亡くなると、伊邪那岐"神"と呼称が変わっています。伊邪那美が出現した時も伊邪那岐"神"としていましたが、別天津神より国生み・神生みの「命もち」を授かると、伊邪那美"命"と敬称が変わっていました。"命"とは何かを頼まれている状態であると考えられ、亡くなった事によりこの使命も終了したという事を示していると考えられます。

畝尾都多本神社

畝尾都多本神社は奈良県橿原町の藤原宮跡資料室のすぐ北側に鎮座する神社になります。この境内の場所は万葉集というか百人一首を通じてその名を一度は聞いた事があると思われる「天香具山」の北西麓になります。藤原宮跡資料室が示すように境内から西に少し進むと藤原宮跡となる広大な敷地が広がっています。

【送料無料】 古事記 新潮日本古典集成 新装版 / 西宮一民 【全集・双書】

-古事記を読む