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石巻山山頂へ(豊橋市石巻町)

石巻山 山頂へ

あらすじ

 石巻神社参拝の為、豊橋市石巻町にやってきました。
 石巻神社の里宮は石巻山北側の麓に鎮座していて、里宮を参拝後、石巻山道とも呼ばれる県道を一気にバイクで駆けあがって山頂近くに用意された駐車場に向かいました。ここからは徒歩で石巻神社の上宮を参拝したのですが、現地の案内図や手水舎の近くには「石巻山山頂」へ向かう登山道がある事を示していました。

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 石巻山山頂近くに鎮座している「石巻神社・上宮」を参拝した後、参道を引き返していると、手水舎の場所から「石巻山頂へ→」と書かれた看板が目に入りました。この日は夕方から雨が降る予報だったんですが、予想以上に空が曇ってきて行くべきか、行かざるべきか悩んだ結果、「ここで行かないと次の機会は無いかも?」と思って、一路山頂へ登山道を登っていく事にしました。

 石巻神社上宮の参道とは一気に様子が変わり、見るからに「山道」がここから始まるんだなという雰囲気を感じます。全く距離感がないので、山頂までどれくらいかかるのかすら分からない状態で山頂に突き進むのは中々勇気がいりますね。

 登山道入口から僅か1~2分登っていくと、眼前に道標が見えてきます。なにやらその見標の奥側に何かがあるようです。

石巻山城址

 後醍醐天皇の蜂起により鎌倉幕府が滅亡すると、その後の権力争いによって後醍醐天皇率いる南朝方と足利尊氏率いる北朝方が分かれて対立する「南北朝時代」に突入していきます。石巻山から少し東に進むと遠江国に到る結構国境近い場所であり、当遠見の井伊谷には井伊氏が宗良親王を迎え入れて、南朝の一大拠点となっていきます。さらに、後醍醐天皇は井伊谷からも近くい石巻山の麓に「高井主膳正」を派遣、石巻山麓に高井城を築き、石巻山山頂にも砦を築いています。
 興国五年(1344年)に北朝方の大軍が攻めこみ、高井主膳正も石巻山城に籠りますが、多勢に無勢、石巻山城も落城し、高井主膳守も自害したと言われ、石巻山城はその後廃城となっています。

奥之院にいく?山頂を目指す?

 石巻山城の石碑や案内看板の手前にある道標をみると、左に進むと石巻山頂に向かうルート、右に進むと奥の院を経て山頂に向かうルートと分かれるようです。ここはどうせなら奥之院方面に向かっていこうと思います。

奥之院へ

 分岐地点から1~2分歩くと、石段の上に朱塗りの社が鎮座していました。たぶん、朱塗りのイメージから稲荷社かな?。ここは石段を上がって参拝していこうと思います。

 明確に稲荷社であると書かれている物は無いのですが、本殿の御扉の前に狛犬ならぬ狛狐が据えられている所からまず間違いなく稲荷社かと思います。ちなみに、この社、写真が斜めっている訳ではなく、実際に社が斜めになってしまっています。社の中の天井をもらっても分かる様にかなり痛みが激しく、正直倒壊しかかかっていると言っても過言じゃないです。この稲荷社の社はいつまでここに経っている事ができるでしょうか・・・。

 稲荷社の参拝を終えて、さらに奥の院に向けて歩いていきます。稲荷社から奥の院の間は道幅は狭いながら結構平坦な道のりでぐんぐん進んでいき、数分歩くと、目の前に奥之院の社が見えてきます。

奥之院

 案内看板などで「奥之院」と書かれているので自分も奥之院と紹介していますが、石巻神社・上宮の奥之院という事でいいのでしょうか?色々知らべると不動尊を祀っているようです。

 奥の院の社が鎮座している場所が非常に神秘的な場所で、社の横には湧き水が湧いていたりするこの場所を見ていると、もしかしたら、この場所が石巻山信仰の原点なのかな?と感じてしまいます。もしそうだったら、奥の院というより元宮と称した方がしっくりきそうですね。

 湧き水が湧いていると書きましたが、実はこの湧き水の湧きポイントには「飲用水」と書かれた案内板が設置されています。さらにご丁寧に柄杓まで用意されていて、「ささ、疲れたでしょう、喉を潤してくださいな。」と言わんばかりの顔つきの蛙の石像が語り掛けてきます。えーっと・・・・・実は湧き水などを全く飲んだことが無い自分には中々敷居が高い場所なんですが、何事も体験という事で、苔から滴り落ちている水を手酌ですくって飲んでみました。これがまさに天然水なわけですね。さすがにごくごくと飲む事はためらってしまいますが、水道水とは明らかに味はちがっている気がしました。

 皆様も石巻山に登った際にはぜひ。

奥之院から山頂に向かいます。

 奥の院を参拝して、巨石の壁を右手に見ながら先に進んでいきます。真っ直ぐ伸びた杉の木の先に何やら建物がみえますね。

 もう壁が一部倒壊して、これは社と呼んでもいいのかと悩んでしまう姿のこの建物は、「竜神社」になるはずです。もう、倒壊までカウントダウンが始まっている感じですね。

 御神体なのか御本尊なのか判断が難しいですが、龍像が社に安置されてます。ここまでくると、どこまで奉斎されているのかがよくわかりません。石巻神社が管理しているなら崩れる前に神社の社殿などに遷座させた方がいいんじゃないのかなあと思うのですが、死なばもろともじゃないですが、社が崩れた時に龍像も運命と一にするということなのかな。

 実は、龍神社のすぐ左隣には天狗堂という御堂が建っていたはずなのですが、現在ではその御堂は倒壊し、崩れたままとなっている場所があります。

 龍神社、天狗堂跡を過ぎて山道を進んでいくと、最初の分岐点で分かれていった山頂に向かうルートと合流します。さてここからは山頂に向かって一直線・・のはず。

石巻の蛇穴

 途中、自然に岩場に作られた横穴が目に入ります。この横穴を「石巻の蛇穴」と呼ぶそうで、神の使いである大蛇が住み着いていたという伝承が残っている様です。しかし、奥行き13mもある横穴を作ってしまう自然の力は恐ろしいですね。

ダイダラボッチの足跡

 豊橋から田原にかけての地域には「ダイダラボッチ伝承」が点在しているのですが、ここ石巻山もダイダラボッチの足跡と呼ばれる石が存在しています。中々の巨人で描かれている東三河のダイダラボッチですが、ダイダラボッチ本宮山とここに足を置いてまたぎ、小便をしたのが豊川になったという伝承があるようです。
 こうして変形した石をみて、ダイダラボッチを想像する人々の想像力はすごいですね。

山頂はまだ?

 ダイダラボッチの足跡を超えると、それまで比較的なだらかな山道は、突如岩場を超えて進んでいく山道へとその姿を変えていきます。併せて少しづつ坂がきつくなっても行きます。

 写真は逆光になってまったく彫られた文字が読めませんが、小天狗・大天狗と彫られた石が巨石の上に据えられた場所が現れました。倒壊してしまっていましたが天狗堂が存在していたし、この石巻山には天狗伝承も伝えられているんですかね。

 どんどん、岩場が激しくなってきました。こんな感じで足場が悪いと、写真を撮りながら進む事は転倒の恐れがもあるので、カメラをバッグにしまって先に進むことにします。

 すると、突然こんな場所が登場します。なにこの鎖・・・。

 途中とても写真を撮っている場合じゃなかったので、登り切った場所から振り返ってみました。所々階段が設置されていて、これでも楽に山頂に登れるようになったんだとは思いますが、それでも自分にとっては中々の急坂でした。ただ、こうした鎖や階段が設置されている場所は僅かな距離だったので、登ってしまえばあれもう終わりかと思ってしまう程度の疲労感でした。

石巻山山頂

 石巻山山頂は岩場が広がる場所で、石巻山城が築城されてはいますが、正直全く城郭には適していない山なんじゃないかと思った訳です。平坦な場所もないし、山頂がこんな岩場では、兵を留めておくこともできませんね。そう思うと、石巻山城は本来主郭となるであろう山頂部分には物見台を置いて、主郭部分は奥之院周辺や石巻神社上宮周辺に築かれた城なんじゃないのかと想像することができます。

 山頂は物見台としてはずば抜けていて、かなり遠方まで望むことができます。一枚目の写真は石巻山から豊橋市街方面の望んでいます。二枚目の写真は石巻山から豊川方面を望んでいます。特に、豊川方面は北朝方の軍勢が進行してきたことをかなり遠くから確認する事ができたんじゃないでしょうか。

 と遠景を楽しみながらお茶休憩していたら、なんと雨が降り出してきました。眺望を満喫する前ですが、雨によって岩場が滑りやすくなってしまう前に石巻神社の場所まで下山することにします。

 最後に、石巻山の山頂で一番高い岩に括りつけられていた「石巻山 358m」の表札になります。帰り風景も写真を撮っていこうと思ったのですが、どんどん強くなる雨足の為、カメラを出す事ができず石巻山登山編はここで終了です。

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