御陵

仲哀天皇:恵我長野西陵(岡ミサンザイ古墳)

2025年1月5日

御陵情報

御陵名恵我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)
被葬者第十四代 仲哀天皇(宮内庁治定)
古墳名岡ミサンザイ古墳
所在地大阪府藤井寺市藤井寺四丁目地内(GoogleMap
陵 形前方後円墳
規 模墳丘長245m 高さ20m(後円部)
築造期五世紀末期
御陵印古市陵墓監区事務所

仲哀天皇とは

日本神話における最大のヒーローと言える「ヤマトタケルノミコト(倭建命・日本武尊)」を父に持つ第十四代天皇になります。そして、天皇に即位はしていませんが、まさに女帝とも称される「神功皇后」との間に、後に八幡神と同一視され全国に鎮座する八幡宮の御祭神となる「応神天皇」となる皇子を設けています。

 記紀上ではヤマトタケルの活躍によりその勢力圏を広げたヤマト朝廷ですが、仲哀天皇の伝承を読んでいるといまだ朝廷に服従させきれないでいた九州地域を平定する為に心血を注いでいた天皇であったが道半ばで急死してしまったのではないかと想像してしまいます。

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参拝記

 仲哀天皇陵は百舌鳥・古市古墳群に属する古墳で全国でも16番目の規模を誇る古墳になるようです。また古墳全体を囲むように周濠が巡らされており、湧き水や雨水によって水を貯えておりまるで水堀の様になっています。大規模な古墳の姿と言えば?という問題があったらまさに想像してしまう模範解答の様な姿になっているかと思います。
 築造時期は5世紀末葉頃とされ、同時期築造された古墳と比較しても突出した規模を誇る古墳になるそうですが、古墳の築造時期と仲哀天皇の即位想定年代が合わないとも言われています。

 前方部に正対するような形で拝所が設けられています。上記の写真を撮影している場所のすぐ後ろまで住宅地が迫っており、御陵は住宅で囲まれていたりするのですがここからのアングルではまったくそんな周囲の喧騒なんて想像できない空間が広がっている様に見えますね。

 ここが宮内庁が所轄している事を示す立札になり、基本的に宮内庁が所轄している御陵すべてにこの立札が建てられています。

 さらに御垣内には天皇名と御陵名が彫られた石柱が据えられています。この石柱も古墳状の御陵の御垣内にはほぼ据えられているかと思います。

 周濠部分にも天皇名・御陵名が彫られた石柱が据えられていました。

 藤井寺市が設置した案内看板。インバウンドを意識して英訳も併記されるなどまさに今時な感じがする案内板ですね。ただ・・・外国人観光客が古墳を参拝(観光)しにくるかどうかは・・・。

陪塚

 仲哀天皇陵の陪塚であり、国の指定史跡となっている割塚古墳になります。全体的に掘削されているのか形状がよく分かりませんが墳丘長60mの前方後円墳になるそうです。この割塚古墳の近くには「岡古墳」という方墳もあったそうなのですが、住宅地開発の為に発掘調査が行った上で消滅してしまっているそうです。この辺りは少し歩けば古墳にあたると言ってもいいくらい至る所に古墳が点在している場所なので、住宅地開発で消滅してしまった古墳も数多く存在しているだろうとは想像に難くない訳ですが、割塚古墳の周囲を見て回ると国の指定史跡となったから消滅しなかったのかも?と思ってしまいます。

御陵を地図で確認

陵墓名恵我長野西陵
所在地大阪府藤井寺市藤井寺四丁目地内(GoogleMap
最寄駅鉄 道:近鉄「藤井寺駅」徒歩15分
バ ス:近鉄バス「御陵前バス停」徒歩3分

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