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2025/5/5

聖武天皇皇太子:那富山墓

御陵情報 御陵名那富山墓被葬者伝:基皇子古墳名那富山墓所在地奈良県奈良市法蓮佐保山三丁目地内(Googlemap)陵 形ー規 模ー築造期ー御陵印ー 基皇子とは? 聖武天皇と光明皇后の間に神亀四年(727年)九月二十九日に生まれた第一皇子になります。生後わずか32日という異例な若さで皇太子に建てられています。しかし、翌神亀五年(728年)九月十三日に夭折した。 参拝記  2006年に閉園した奈良ドリームランドの正面側入口だったであろう場所に沿うような感じで那富山墓へ通じる一見歩道の様な道が続いています。その ...

2025/5/5

常陸神社(奈良県奈良市法蓮町)

神社情報 神社名常陸神社鎮座地奈良県奈良市法蓮町一七六三番地二号御祭神少名毘古那尊創 建不詳社格等ー神名帳ー文化財ー例大祭四月二十九日 境内社佐保姫大神藤瀧大明神玉井大明神稲荷社 URLー御朱印ー 参拝日:2025-04-05 御由緒 常陸大掾中臣無良自という人物が少名彦名命を勧請奉斎を始めたのが創始だと伝えられています。始めは常陸国にて祀られてきたのかは不明なんですが、桓武天皇の平安京への遷都に際して現在の地に遷座したとしています。  ちなみに、"大掾”ではなく律令制度の中では「代掾」という官職名となっ ...

2025/5/9

光明皇后:佐保山東陵

御陵情報 御陵名佐保山東陵被葬者聖武天皇皇后 天平応真仁正皇太后古墳名ー所在地奈良県奈良市法蓮町北浦地内(Googlemap)陵 形円墳規 模不明築造期不明御陵印ー 天平応真仁正皇太后とは 一般的には「光明皇后」の名前のが知られていると思いますが本来の尊号は「天平応真仁正皇太后てんぴょうおうしんいんしょうこうたいごう」になります。藤原不比等の子で皇族以外で初めて皇后となった人物になります。藤原氏が朝廷内で権力を拡大していく最中の人物であり、周囲との政争が絶えなかったと言われています。 大宝元年(701年) ...

2025/5/9

聖武天皇:佐保山南陵(法蓮北畑古墳)

御陵情報 御陵名佐保山南陵被葬者聖武天皇古墳名法蓮北畑古墳所在地奈良県奈良市法蓮町北浦地内(Googlemap)陵 形山形規 模ー築造期ー御陵印畝傍陵墓監区事務所 聖武天皇とは 全国に国分寺・国分尼寺の建立の詔を発し、東大寺に大仏の建立を進めた事で知られ、恭仁京・紫香楽宮・難波京など遷都を繰り返した天皇でも知られています。在位中は長屋王の変、藤原広嗣の乱などの政情の不安定さと天然痘の大流行・火災地震などの天変地異に悩まされており、これを経緯に仏教に深く帰依していきました。また、天平十五年(743年)に墾田 ...

2025/5/5

黒髪山稲荷神社(奈良県奈良市法蓮町)

神社情報 神社名黒髪山稲荷神社鎮座地奈良県奈良市奈良阪町大黒平地内御祭神保食神創 建不詳社格等奈良豆比古神社境外末社神名帳不詳文化財不詳例大祭二月上の午の日 境内社ー URLー御朱印ー 参拝日:2025-04-05 御由緒  古事記や日本書紀の垂仁天皇の段にて描かれている狭穂姫/沙本毘売とその兄である沙穂彦王/沙本毘古王の物語。この物語をざっくりと説明すると、「狭穂彦王は皇后である狭穂姫を使って垂仁天皇の暗殺を企てますが、天皇を思う狭穂姫は天皇を裏切る事が出来ず、告白により狭穂彦王の謀叛が天皇に露見してし ...

2025/5/24

巻第六 垂仁天皇|狹穗彦王と狭穂姫の謀叛

日本書紀とは?  養老四年(720年)に完成したとする日本最古の正史である「日本書紀」(やまとぶみ・にほんしょき)になります。ほぼ同時期に造られたという「古事記」と何かと対比されがちな傾向にあります。先にも述べましたが、「日本書紀」は正史として国内外に発信すべく造られた書であり、「古事記」は物語調でもあり国内に向けて天皇の正統性を発信する書であり、編纂目的は大きく異なっています。こうして異なった目的で編纂されたこともあり、古事記は物語調という事もあり非常に読みやすい書であるのに対し、日本書紀は年代を追って ...

2025/6/7

巻第六 垂仁天皇|倭姫命の巡行

日本書紀とは?  養老四年(720年)に完成したとする日本最古の正史である「日本書紀」(やまとぶみ・にほんしょき)になります。ほぼ同時期に造られたという「古事記」と何かと対比されがちな傾向にあります。先にも述べましたが、「日本書紀」は正史として国内外に発信すべく造られた書であり、「古事記」は物語調でもあり国内に向けて天皇の正統性を発信する書であり、編纂目的は大きく異なっています。こうして異なった目的で編纂されたこともあり、古事記は物語調という事もあり非常に読みやすい書であるのに対し、日本書紀は年代を追って ...

2025/3/26

新羅の天之日矛|応神天皇

新羅の国王の子 天之日矛 前に戻る  ┃  古事記を読む 昔 有新羅國主之子名謂天之日矛 是人參渡來也 所以參渡來者新羅國有一沼 名謂阿具奴摩 「自阿下四字以音」 此沼之邊 一賤女晝寢於是日耀如虹 指其陰上 亦有一賤夫 思異其狀 恒伺其女人之行 故是女人 自其晝寢時 妊身生赤玉 爾其所伺賤夫乞取其玉恒裹著腰此人營田於山谷之間 故耕人等之飮食負一牛而入山谷之中 遇逢其國主之子天之日矛 爾問其人曰 何汝飮食負牛入山谷 汝必殺食是牛 卽捕其人 將入獄囚 其人答曰 吾非殺牛唯送田人之食耳 然猶不赦爾解其腰之玉 幣 ...

2025/3/26

巻第六 垂仁天皇|天日槍

日本書紀とは?  養老四年(720年)に完成したとする日本最古の正史である「日本書紀」(やまとぶみ・にほんしょき)になります。ほぼ同時期に造られたという「古事記」と何かと対比されがちな傾向にあります。先にも述べましたが、「日本書紀」は正史として国内外に発信すべく造られた書であり、「古事記」は物語調でもあり国内に向けて天皇の正統性を発信する書であり、編纂目的は大きく異なっています。こうして異なった目的で編纂されたこともあり、古事記は物語調という事もあり非常に読みやすい書であるのに対し、日本書紀は年代を追って ...

2025/3/24

巻第六 垂仁天皇|任那・新羅の抗争

日本書紀とは?  養老四年(720年)に完成したとする日本最古の正史である「日本書紀」(やまとぶみ・にほんしょき)になります。ほぼ同時期に造られたという「古事記」と何かと対比されがちな傾向にあります。先にも述べましたが、「日本書紀」は正史として国内外に発信すべく造られた書であり、「古事記」は物語調でもあり国内に向けて天皇の正統性を発信する書であり、編纂目的は大きく異なっています。こうして異なった目的で編纂されたこともあり、古事記は物語調という事もあり非常に読みやすい書であるのに対し、日本書紀は年代を追って ...

2025/3/15

巻第六 垂仁天皇|即位

日本書紀とは?  養老四年(720年)に完成したとする日本最古の正史である「日本書紀」(やまとぶみ・にほんしょき)になります。ほぼ同時期に造られたという「古事記」と何かと対比されがちな傾向にあります。先にも述べましたが、「日本書紀」は正史として国内外に発信すべく造られた書であり、「古事記」は物語調でもあり国内に向けて天皇の正統性を発信する書であり、編纂目的は大きく異なっています。こうして異なった目的で編纂されたこともあり、古事記は物語調という事もあり非常に読みやすい書であるのに対し、日本書紀は年代を追って ...

2025/3/10

倭姫命と神宮と元伊勢

 昨年に一身上の都合で三重県に引っ越しをしまして、一気に自分を取り巻く環境が変わってしまいました。それまでは自営業を営んでいたのである程度時間に余裕があったのですが、なんと10年ぶりに会社員に復帰しまして一気に自由時間が減ってしまった感じがしています。自分のライフワークと言っても過言じゃないと思っている社寺&史跡巡りは土地勘の全くない三重県でも時間があまり取れないので頻度はめっちゃ減ってしまいましたが何とか継続しております。で、三重県を巡っていると「元伊勢伝承地」に出会う事が多くなった感じがします。「元伊 ...