三重県の神社を巡ろう
2022年に生まれ育った愛知県から(伊勢)神宮を有する三重県に2023年に引っ越しました。愛知県在住の頃は「あいちを巡る生活って」というサイトを運営し、愛知県の様々な史跡・神社仏閣などを紹介していたんですが、さすがに三重県に引っ越して生活環境が一変してしまうと今までの様なサイト更新が出来ずほぼ放置気味となっています。更にさすがに三重から愛知の色々なスポットを訪れる事も困難なのでこれからどうしようかなという事で当サイトを立ち上げた訳です。更にせっかく三重に引っ越したんだからという事で「三重県に鎮座する815 ...
磐之媛命:平城坂上陵(ヒシアゲ古墳)
奈良県奈良市佐紀町にあり佐紀盾列古墳群を構成する古墳であり宮内庁より仁徳天皇の皇后である磐之媛命の御陵である平成坂上陵に治定されているヒシアゲ古墳の紹介です。
平城天皇:楊梅陵(市庭古墳)
御陵情報 御陵名楊梅陵被葬者不詳第五十一代平城天皇(宮内庁治定)古墳名市庭古墳所在地奈良県奈良市佐紀町陵 形円丘発掘調査により元は前方後円墳であったことが判明規 模現存は後円部のみ復元長253m、前方部154m、後円部147m築造期五世紀代御陵印畝傍陵墓監区事務所 平城天皇とは? 平安京に遷都した事でしられている桓武天皇の第一皇子。在位期間は病弱であったこともあり延暦二十五年(806年)~大同四年(809年)の僅か3年で弟である神野親王(嵯峨天皇)に譲位し上皇となる。譲位後は旧都である平城京に移っています ...
神功皇后:狭城盾列池上陵(五社神古墳)
御陵情報 御陵名狭城盾列池上陵被葬者神功皇后(宮内庁治定)古墳名五社神古墳所在地奈良県奈良市山陵町字宮ノ谷陵 形前方後円墳規 模全長267m、前方部115m、前方部190m築造期四世紀末頃御陵印ー 神功皇后とは? 第十四代仲哀天皇の皇后であり、仲哀天皇の崩御された後、摂政として第十五代応神天皇が即位するまで国政を取り仕切った日本神話における”女帝”としてその名が知られています。神懸りなどいろいろな逸話が記紀に書かれていますが、特に、後の応神天皇を身籠ったまま朝鮮半島の新羅に出兵した際、「月延石」を腹に充 ...
山陵八幡神社(奈良県奈良市山陵町)
神社情報 神社名山陵八幡神社鎮座地奈良県奈良市山陵町宮ノ谷四四六番地御祭神品陀和気命(応神天皇)気長足姫命(神功皇后)玉依姫命創 建不詳社格等神饌幣帛料供進指定村社神名帳ー文化財ー例大祭十月第一土、日曜日 境内社福松大神 URLー御朱印ー 参拝日:2025-04-05 御由緒 創建などの由緒は不詳なんですが、神功皇后陵の南側に鎮座している事、、御祭神として気長足姫命(神功皇后)を祀っている事などから何らかの繋がりがあるのではないかと思われる八幡神社になります。 航空写真を見る限り、神社が鎮座する場所も元 ...
山上八幡神社(奈良県奈良市山陵町)
神社情報 神社名山上八幡神社鎮座地奈良県奈良市山陵町御陵前三二六番地御祭神誉田別命天照皇大神天児屋根命創 建不詳(天正四年(1576年)以前に創建か?)社格等神饌幣帛料供進指定村社神名帳ー文化財ー例大祭十月九日、十日 境内社 URLー御朱印〇 参拝日: 御由緒 創建は不詳だが、天正四年(1576年)に超昇寺氏が一族の武運増進、家門繁栄を記した祈願文が残っている事から山上八幡神社はそれ以前からこの地に鎮座していたと考えられるとか。 超昇寺氏とは? 山上八幡神社の南東側に「御前池」がありその池を挟んで東西に「 ...
成務天皇陵:狭城盾列池後陵(佐紀石塚山古墳)
御陵情報 御陵名狭城盾列池後陵さきのたたなみのいけじりのみささぎ被葬者第十三代成務天皇(宮内庁治定)古墳名佐紀石塚山古墳所在地奈良県奈良市山陵町字御陵前(Googlemap)陵 形前方後円墳規 模全長218.5m、後円部約132m、前方部約121m築造期四世紀後半御陵印畝傍陵墓監区事務所 成務天皇とは 景行天皇と皇后八坂入媛命の間に第四皇子として生まれる(前皇后である播磨稲日大郎姫との間に三男生まれている為、八坂入媛命との間に生まれた皇子女の中では長子)。日本神話最大の英雄とされる「日本武尊」は異母兄にあ ...
称徳・考謙天皇:高野陵(佐紀高塚古墳)
御陵情報 御陵名高野陵たかののみささぎ被葬者四十六代孝謙天皇四十八代称徳天皇(重祚)古墳名佐紀高塚古墳所在地奈良県奈良市山陵町(Googlemap)陵 形前方後円墳規 模全長約127m、後円部約80m、前方部約70m築造期四世紀代御陵印畝傍陵墓監区事務所 称徳天皇(孝謙天皇)とは 養老二年(718年)、第四十五代聖武天皇と光明皇后との間に生まれた。即位前は「阿倍内親王」。 天平十年一月三日(738年2月6日)、史上唯一の女性皇太子となる。 天平勝宝元年七月二日(749年8月19日)、聖武天皇の譲位により即 ...
日葉酢媛命:狭木之寺間陵(佐紀陵山古墳)
御陵情報 御陵名狭木之寺間陵被葬者日葉酢媛命古墳名佐紀陵山古墳所在地奈良県奈良市山陵町御陵前陵 形前方後円墳規 模全長207m、後円部経131m、後方部幅87m、標高89m築造期四世紀後半御陵印ー 日葉酢媛命とは 第十一代垂仁天皇の二番目の皇后であり、垂仁天皇との間に第十二代景行天皇、神宮の初代斎宮とも言われる倭姫命など三皇子・二皇女を産む。先の皇后である「狭穂姫命」の推挙によって垂仁天皇十五年二月十日に後宮に向か入れられた「丹波道主命」の娘の一人である。日本書記では垂仁天皇三十二年に崩御され、野見宿禰に ...
巻第六 垂仁天皇|埴輪の起原
日本書紀とは? 養老四年(720年)に完成したとする日本最古の正史である「日本書紀」(やまとぶみ・にほんしょき)になります。ほぼ同時期に造られたという「古事記」と何かと対比されがちな傾向にあります。先にも述べましたが、「日本書紀」は正史として国内外に発信すべく造られた書であり、「古事記」は物語調でもあり国内に向けて天皇の正統性を発信する書であり、編纂目的は大きく異なっています。こうして異なった目的で編纂されたこともあり、古事記は物語調という事もあり非常に読みやすい書であるのに対し、日本書紀は年代を追って ...
巻第六 垂仁天皇|五十瓊敷命と大足彦尊
日本書紀とは? 養老四年(720年)に完成したとする日本最古の正史である「日本書紀」(やまとぶみ・にほんしょき)になります。ほぼ同時期に造られたという「古事記」と何かと対比されがちな傾向にあります。先にも述べましたが、「日本書紀」は正史として国内外に発信すべく造られた書であり、「古事記」は物語調でもあり国内に向けて天皇の正統性を発信する書であり、編纂目的は大きく異なっています。こうして異なった目的で編纂されたこともあり、古事記は物語調という事もあり非常に読みやすい書であるのに対し、日本書紀は年代を追って ...
巻第六 垂仁天皇|殉死の禁止
日本書紀とは? 養老四年(720年)に完成したとする日本最古の正史である「日本書紀」(やまとぶみ・にほんしょき)になります。ほぼ同時期に造られたという「古事記」と何かと対比されがちな傾向にあります。先にも述べましたが、「日本書紀」は正史として国内外に発信すべく造られた書であり、「古事記」は物語調でもあり国内に向けて天皇の正統性を発信する書であり、編纂目的は大きく異なっています。こうして異なった目的で編纂されたこともあり、古事記は物語調という事もあり非常に読みやすい書であるのに対し、日本書紀は年代を追って ...
天湯川田神社(大阪府柏原市高井田)延喜式内社
大阪府柏原市高井田に鎮座する延喜式神名帳河内国大縣郡玉湯川田神社に治定されている天湯川田神社の紹介です。垂仁天皇の皇子”誉津別命”が言葉を発するきっかけとなる「鵠」を献上した天湯河棚命の後裔とする鳥取氏が始祖である天湯河棚命を奉斎創建した神社と伝えられています。
天湯河板挙命
天湯河板挙命とは? 日本書紀における表記 天湯河桁命 / 天湯河板挙 /天湯川田奈命 / 天湯川田神 登場文献 日本書記「垂仁天皇」の段 「鳥取造」廿三年秋九月丙寅朔丁卯 詔群卿曰「譽津別王 是生年既卅 髯鬚八掬 猶泣如兒 常不言 何由矣」因有司而議之 冬十月乙丑朔壬申 天皇立於大殿前 譽津別皇子侍之 時有鳴鵠 度大虛 皇子仰觀鵠曰「是何物耶」天皇則知皇子見鵠得言而喜之 詔左右曰「誰能捕是鳥獻之」於是 鳥取造祖天湯河板舉奏言「臣必捕而獻」卽天皇勅湯河板舉(板舉 此云拕儺)曰「汝獻是鳥 必敦賞矣」時湯河板舉 ...











