古事記を読む

新羅の天之日矛|応神天皇

2025年3月24日

新羅の国王の子 天之日矛

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昔 有新羅國主之子名謂天之日矛 是人參渡來也 所以參渡來者新羅國有一沼 名謂阿具奴摩 「自阿下四字以音」 此沼之邊 一賤女晝寢於是日耀如虹 指其陰上 亦有一賤夫 思異其狀 恒伺其女人之行 故是女人 自其晝寢時 妊身生赤玉 爾其所伺賤夫乞取其玉恒裹著腰
此人營田於山谷之間 故耕人等之飮食負一牛而入山谷之中 遇逢其國主之子天之日矛 爾問其人曰 何汝飮食負牛入山谷 汝必殺食是牛 卽捕其人 將入獄囚 其人答曰 吾非殺牛唯送田人之食耳 然猶不赦
爾解其腰之玉 幣其國主之子 故 赦其賤夫將來其玉置於床邊 卽化美麗孃子仍婚爲嫡妻 爾其孃子 常設種種之珍味恒食其夫 故其國主之子 心奢詈妻 其女人言 凡吾者非應爲汝妻之女 將行吾祖之國 卽竊乘小船 逃遁渡來留于難波「此者坐難波之比賣碁曾社謂阿加流比賣神者也」
於是天之日矛聞其妻遁 乃追渡來將到難波之間 其渡之神塞以不入
故更還泊多遲摩國卽留其國而 娶多遲摩之俣尾之女名前津見 生子多遲摩母呂須玖 此之子多遲摩斐泥 此之子多遲摩比那良岐 此之子多遲麻毛理 次多遲摩比多訶 次淸日子「三柱」此淸日子 娶當摩之咩斐 生子酢鹿之諸男 次妹菅竈/上/由良度美「此四字以音」故 上云多遲摩比多訶 娶其姪由良度美 生子葛城之高額比賣命 此者息長帶比賣命之御祖
故 其天之日矛持渡來物者 玉津寶云而珠二貫又振浪比禮「比禮二字以音下效此」切浪比禮振風比禮切風比禮又奧津鏡邊津鏡幷八種也「此者伊豆志之八前大神也」

現代語訳

 その昔、新羅の国王の子であるとする「天之日矛あめのひほこ」という者が海を渡ってやってきた。この天之日矛が海を渡ってきた理由が、「新羅に阿具あぐ沼という沼があり、この沼の辺である賤しき女が昼寝をしていたが、太陽の光が虹のように輝いて女の陰部を照らした。また、賤しき男がその様子を不思議に思い女の様子を見るとこの昼寝をしていた女は妊娠し赤い宝玉を産んだ。男はその赤い宝玉が欲しいと願い出て、赤い球をもらい受け常に(腰部分に)身に着けていた。
 その男は、山間に畑作を営んでいた。ある時、農耕に携わっている人達の食べ物を一頭の牛に背負わせて山の中を進んでいると、国主の子である天之日矛に出会った。天之日矛は男に「なぜ食料を牛に背負わせて山の中に入っていくのだ。この牛を食べようと思っているにちがいない。」と言い、捕らえて牢屋に入れようとした。「牛は殺しません。畑で働いている人達に食糧を届けるだけです。」と言いましたが、取り合ってもらえません。
 そこで男は腰の宝玉を解いて、天之日矛に渡しました。天之日矛は男を赦し、その宝玉を持ってきて床に置くと美しい乙女になりました。天之日矛はその乙女を妻としました。その少女は多種多様な珍味を料理していつも夫である天之日矛に食べさせました。その内、天之日矛は思い上がり妻を罵る様になってしまいました。その乙女は、「私はあなたの妻になるにはふさわしくないので、祖国に帰ります。」と言って小舟に乗り逃げる様に海を渡り難波にたどり着きました。「この人は難波の比売碁曽社ひめごそのやしろに坐している阿加流比売神あかるひめのかみになります。」
天之日矛は妻が逃げたと知り、すぐに追いかけ海を渡り難波に入ろうとしましたが、渡の神が道を塞いだため、入る事ができませんでした。

 そこで、戻って但馬国に入り、その国に留まりました。多遅摩俣尾たじまのまたおの娘である前津見まえつみを娶り多遅摩母呂須玖たじまもろすくが生まれた。この(母呂須玖)子は多遅摩斐泥たじまびね、この(斐泥)子は多遅摩比那良岐たじまひならき、この(比那良岐)子は多遅麻毛理たじまもり多遅摩比多訶たじまひたか清日子きよひこの三人である。この清日子、当摩之咩斐を娶り酢鹿之諸男すがのもろを、 次に妹の菅竈由良度美すがかまゆらどみが生まれた。そして、上で述べた多遅摩比多訶は姪である由良度美ゆらどみを娶り、 葛城之高額比売命かつらきのたかぬかひめのみことが生まれ、 この人は息長帯比売命おきながたらしひめ神功皇后」の母親です。

そして、天之日矛が持ってきた物は玉津宝といい、二連のつながった珠、振浪比礼、 切浪比礼、振風比礼、切風比礼、 そして奧津鏡、辺津鏡の八種です。「これは伊豆志八前大神いずしのやまえのおおかみとして祭られています」

登場した人々

コラム

日本書記では「神功皇后」を独立した巻でまとめるなど、天皇と同様の扱いとなっているのが特徴です。神功皇后は天皇に変わって政治を取り仕切る「摂政政治」を行っておりこの間は天皇は空位となっています。その事から明治以前は神功皇后が皇位についていたと考えられていたようですが、現在では歴代天皇にその名前が見られない事から皇位にはついていない「摂政」的立場だったとしている様です。

神功皇后の系図

                    天之日矛
                     ┃
                  多遲摩母呂須玖
開化天皇              (但馬諸助)
  ┣━━━━━┓            ┃
崇神天皇   彦座王         多遅摩斐泥※古事記のみ登場
        ┃            ┃
    山代之大筒木真若王     多遲摩比那良岐
        ┃         (但馬日楢杵)
        ┃            ┃
      迦邇米雷王        多遅摩比多訶
        ┃            ┃
      息長宿禰王 ━━┳━━ 葛城之高額比売
      (気長宿禰王)  ┃   (葛城高顙媛)
            気長足姫尊

まとめ

 但馬国を中心とする各地に「天之日矛/天日槍」の伝説が伝えられていますが、特に古事記では様々な伝説を集約していると考えられます。ヤマトタケルと同様に新羅からの何人もの渡来人の伝説を集約して生まれたのが「天之日矛」という人物であると考えられます。日本書紀では垂仁天皇の段にてほぼ同様の伝承が紹介されていますが、任那国主の子「都怒我阿羅斯等つぬがあらしと」の伝承と新羅国主の子「天日槍」の伝承と分けられています。さらに古事記では天之日矛は仲哀天皇の皇后で応神天皇の母となる神功皇后の祖であり葛城一族に繋がっているとしている点も日本書紀とは大きく異なる点となります。

是非、天之日矛の伝承を日本書紀と比較して読んでみてください。

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 当サイトでは、古事記の現代語訳を行うにあたって、「新潮日本古典集成 古事記 西宮一民校注」を非常に参考させて頂いています。原文は載っていないのですが、歴史的仮名遣いに翻訳されている訳文とさらに色々な注釈が載っていて、古事記を読み進めるにあたって非常に参考になる一冊だと思います。

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